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第九十九話 中国武術文献考(11)

  第九十九話 中国武術文献考(11) 洪イ祥も台湾の人で1949年の政変前後に台湾に渡って来た人たちから南北の拳法を学んだという。こうした時期に呉家太極拳の馬岳梁も一時、台湾に移住していたという。馬は再び大陸に帰って文革でひどい目にあったらしいが、呉家の長男の公儀は香港に移住している。これは楊家も同様で長男の守中が香港に移った。八卦拳の孫錫コンも香港に移住していたが大陸赤化から二年後には年に台湾に移って翌年には病没する。このように大陸から来た人たちも再び台湾を離れたり武術を伝える間もなく亡くなったりということがあったようである。蘇東成の『中国猴拳法』は洪イ祥の伝えたものである。松田隆智は『少林拳入門』(後の内容の一部を改めて『少林拳術 羅漢拳』として出版されている)で羅漢拳を紹介しているが、この羅漢拳は洪イ祥が北派の少林拳をまとめて新たに編んだものである。またかつて台北には「宮廷八卦掌」なるものを教える人がいてかなりの弟子がいたらしい。政変後に中国を離れて香港や台湾に移住した人が多いが他に朝鮮半島に逃れた人も居たようで佐々木大輔は釜山在住の張孝賢の伝えた六合拳を『中国北派拳法 六合拳』で紹介している。韓国における中国武術がどのような状態であるのか興味深いところである。

第九十九話 中国武術文献考(10)

  第九十九話 中国武術文献考(10) 佐藤金兵衛は『少林拳』で台湾の金鷹拳を紹介している。これは台湾南部で伝承している「台湾拳法」というべきものである。台湾は長く沿岸の平野部では風土病があったので清朝の中ころまでは大陸から移住する人もあまり居なかったとされるが近世以降、福建省などから移住する人が増えるにつれて中国南方の武術も伝えらえるようになった。ただ台湾の原住民は山の上に住んでいたので、「台湾拳法」といっても中国南拳の流れをくむものである。現在、台北や台中、高雄などの都市部の「中国拳法」は中国北方の太極拳や形意拳、蟷螂拳などが普及しているが地方では「台湾拳法」とされるものも盛んである。台湾では国民党政府が移ってから「台湾文化」には否定的であくまで「中国文化」が表に出されていた。そうであるから故宮の文物は大きく宣伝されても台湾の考古学などは長く「封印」されたままであった。台湾の武術といえば劉銀山の『白鶴門食鶴拳』が優れた成果といえよう。台湾では鶴拳は広く練習されていて鄭子太極拳で有名な黄性賢も、もとは鳴鶴拳の達人であった。こうしたこともあって台湾では鄭子と鶴拳を共に学ぶ人も少なくない。台湾の出身である蔡長庚は空手の団体を率いていたが柔派の鶴拳や太祖拳を習得しており『唐手教範 鶴拳法』『唐手教範 太祖拳剛柔派』がある。  

第九十九話 中国武術文献考(9)

  第九十九話 中国武術文献考(9) 日本で早くから中国武術を教えていたのが佐藤金兵衛である。佐藤は王樹金から学んだ太極拳や形意拳、八卦掌などを『太極拳』『形意拳』『八卦掌』として発表している。『八卦掌』では後に自らの会を開くことになる地曳秀峰が演じている。同書の用法では閻徳華の『少林破壁』で紹介されている対練を実演している。八卦掌の用法についてはなかなかそれを示すことが難しいのか松田隆智の『八卦掌入門』でも同じものを使っている。また松田の本では套路の紹介も姜容樵の『八卦掌』にあるものを実演して付するなど一冊の本としての情報量を確保するのに苦慮している様子がうかがえる。八卦掌の用法としては古武術研究家の鶴山晃瑞が『中国拳法』でその用法を大東流をもって示している。鶴山は大東流の伝承に柔術、合気柔術、合気之術のあることを考えており、柔術は鍛練的な要素が強く青年向きで、合気之術は導引的な要素が強い年配者に向いたものとして、合気を使った特殊な柔術を合気柔術と位置付け得るとしていた。鶴山はこれが「史実」であり、こうした三つが完全に伝承されているか否かが大東流の正統を考える鍵となるとしていた。そして大東流は幕末の会津で作られたもので、中国武術の太極拳や形意拳、八卦掌もそこに含まれていたと考えていたようにも思われる。つまり形意拳を「柔術」レベル、太極拳を「合気之術」レベル、八卦掌を「合気柔術」レベルとみていたために、八卦掌をして大東流でその用法を示そうとしたのではないかと考えられる。合気柔術で用いられる「合気」は中国武術では「化」「走」「粘」とされるもので、これは形意拳にも太極拳にも、八卦掌にもある。

第九十九話 中国武術文献考(8)

  第九十九話 中国武術文献考(8) また『陳氏太極拳図説』も有名な文献であるが一部が雑誌に翻訳されたものの完訳には至っていない。同書は前半は易について延々と説明がある。それはかつては書物の入手が難しかったために易を用いて説明をしようとするならば、易そのものが分かるような情報をも合わせて載せる方が便利であったからであるが、今では煩雑としか言えない。1949年に大陸が共産党によって統治されるようになる前後に大陸から台湾へ少なからざる武術家が渡って来たが中には『陳氏太極拳図説』や楊澄甫の『太極拳体用全書』などの本を持って来た人も居た。少し時代が落ち着くと武術家同士の間で誰それが『陳氏太極拳図説』を持っているという話が知られるようになったらしいが、直接に行って見せてもらうわけにもいかず、どうしたものかと考えているうちに世の中が落ち着いて出版されたりということがあったと聞いたことがある。同様に武術の雑誌も一人一冊といった感じで台湾に持ち込まれており台湾師範大学ではかつて目録を作ったこともある。ただこうしたものは個人の所蔵であるため既に散逸したものも多いのではないかと思われる。

第九十九話 中国武術文献考(7)

  第九十九話 中国武術文献考(7) 他に笠尾恭二には陳炎林の『太極拳刀剣 稈散手合編』の翻訳として『太極拳総合教程』がある。同書は楊家の太極拳を網羅的に紹介しており、「採腿」の秘伝も載せられている。同じく翻訳として孫禄堂の『拳意述真』が『きみはもう「拳意述真」を読んだか』として出されている。これは孫禄堂が師事した武術家を中心に人物伝と教えが記されている。いづれも二世代くらいの範囲で情報を収集しているのであるからかなり価値のあるものと考えることができるであろう。これらは中国武術の文献の中でも特に優れたものであるが、他には武田煕の『通背拳法』などもある。これは套路部分の一部が翻訳されて私家版で出されたものが各地の図書館に寄贈されている。『通背拳法』は基礎功の八段錦から補助功の鉄沙掌まで中国武術文化を体系的に説明しているところに価値がある。そうであるからこの本は文化人類学の資料としても充分なる価値を有している。わたしの指導教授であった稲生典太郎は北京大学で武田と交流があったと言っていたが「ひじょうに偉い先生で」ということで武術については話したことがなかったらしい。また武田は沢井健一から意拳を習うようにさそわれたと私家版には記されている。

第九十九話 中国武術文献考(6)

  第九十九話 中国武術文献考(6) 笠尾恭二は『太極拳入門』で九十九太極拳を紹介するが、この時は王樹金が伝えた後ろ足に体重をかける套路ではなく、弓歩を基本とするものに変えている。これは王樹金門下で問題視されたとも聞く。九十九太極拳は弓歩(大架)でも後ろ足に体重をかける方法(小架)でも練ることができる。九十九太極拳、形意拳、龍形八卦掌は三つでひとつとされており、太極拳、形意拳、八卦掌を一通り習った後はどれかを中心にして練習する人が多い。この場合、太極拳を主とする人は大架をとることが一般的で、形意拳や八卦掌を主とする人は小架で練る方がやりやすいようである。陳ハン峯は『中華国術太極拳』で大架を基本として演じているが、いくつもの動作で小架の動きが見られ(解説文では弓歩となっている)、日常的には小架で練習していることをうかがわせている。それは陳ハン峰が形意拳を主として練習していたことと関係している。笠尾にはほかに香港の精武会の武術を紹介した『少林拳入門』という珍しい本もある。わたしが菓子折りを持って笠尾の家を訪ねた時ちょうど、香港から師範が来ていて、門弟の方に教えていた。またこの時、松田隆智からはがきが来ているのを見せてくれて「陳小旺」という陳家太極拳の習得者がいたことが書かれていた。この「旺」が受験の参考書で当時知られていた旺文社の「旺」と同じと思ったのをよく覚えている。またテレビで松田隆智が「カンフー・レディ」で武術を演ずるのを録画するためにビデオデッキを買ったとも聞いたように記憶している。

第九十九話 中国武術文献考(5)

  第九十九話 中国武術文献考(5) 松田隆智とならんで中国武術界をけん引したのが笠尾恭二である。笠尾の『太極拳技法』は簡化太極拳(二十四式)の実演と、図で楊家太極拳が紹介されている。笠尾は楊家を取得していなかったのである(王樹金から九十九式を伝えられていた)が、同書では陳家と楊家の拳譜を比べて、陳家から楊家への変化の考察も試みられている。また同書では太極拳の玉女穿梭に八卦掌の影響があるのではないかともされているが、これは笠尾の習得していた龍形八卦掌の白蛇吐信と動きが似ていることによったものであろう。また歩法においても玉女穿梭は転身を繰り返すが、その時にはつま先を内側に向ける扣歩を使う。こうしたことも八卦掌との関連を考えさせたのではないかと思われるが、転身をしようとするのであれば扣歩を使わないわけにはいかない。八卦掌との特殊な関連をいうのであれば扣歩と擺歩の組み合わせが無ければなるまい。龍形八卦掌の白蛇吐信はむしろ太極拳から動きをとったものなのである。九十九太極拳、形意拳、龍形八卦掌は特に九十九太極拳が「正宗」をもっていわれるように、そこでは太極拳、形意拳、八卦掌に分かれる「前」の動きが追究されていた。歴史的にいうならば九十九太極拳は呉家をベースに楊家や陳家それに形意拳、八卦掌の動きを加えたものであるが、これを逆に太極拳、形意拳、八卦掌に分かれる「前」の動きであるとして「正宗(正統)」をもっていうのである。もちろん九十九太極拳を練習する人以外ではこうした評価がされることはまったく無い。