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第九十五話 立禅と馬歩トウ功(16)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(16) そして現在、はじまりかけている「文」の時代に再び混元トウのようなものが出現しようとしているわけである。ちなみに形意拳の三体式は半身の構えで低く腰を落として練るものであり、これはまさに「勁」を開く優れた鍛錬法である。一方、三才式は混元トウにつらなっており、ただ立って手を前後に置くものとなる(三体式よりゆるやかに広く構える感じである)。興味深いことに姜容樵の写真にはこの構えをしているものが残されている。姜は対練でもこの構えをしているが、これは王キョウ斎と同様に混元トウから武術的な力(勁=天然の内功による)が得られると考えていた可能性をうかがわせる。ただ前後に足を開いて立っているだけの姿は、前足の膝を容易に折られるのではないかなどと危惧されないでもないが、そうした計らいを超えた動きが可能となると姜は考えていたのかもしれない。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(15)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(15) 形意拳では形意拳は「道芸」であることを強調する。そして形意拳が「武芸」のひとつとなっている現状を嘆くのであるが、形意拳は混元トウから始まり三才式、そして三体式で武術の領域に入り、三体式が変化をして五行拳となって、さらに十二形拳へと展開して行くシステムである。もし形意拳が道芸であろうとするならば武芸としての「形意拳」から離れることになる。またこうした道芸としての形意拳を心意拳とすることもあるが、そこにあっては道芸と武芸の違いを「形=套路」として認識している部分が大きいことがうかがえる。こうした考え方には「武芸」の時代の前後に「道芸」の時代があったという感覚が背景にあるのではないかと思われる。中国武術では「文」の時代から「武」の時代、そして「文」の時代と文武の時代が繰り返すと教える。「文」の時代になると「武」の稽古はできなくなるし、「武」の時代では「文」を深めることはできなくなるとされるのである。形意拳においては「武」の時代に三体式が生まれたと考えるのであり、混元トウや三才式は太古の先の「文」の時代の遺産とするわけである(現代は再び「文」の時代でこの時代には新しく技を開発することはできない)。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(14)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(14) 静坐では心身に負荷をかけないことを重視して坐禅との違いとすることがある。坐禅は結跏趺坐や半跏趺坐など坐法へ習熟することがひとつの大きな修行となるが、静坐ではそうしたことは意味のないこととする。やや顔を上に向けて臍のあたりで両手を向かい合わせてただ立っている王キョウ斎の写真があるが、これは混元トウを示したものとされる。この姿勢で腕を胸の高さにあげて、足を肩幅に開けばまさに「立禅」となる(太気拳では踵をあげるということも加わる)。王キョウ斎は混元トウを武術的な力である「勁」を得ることのできるトウ法としているが、本来の混元トウではそうした力を求めてはならないとする。ただ天地と一体となるだけで何かを得るために行うものではないとするわけである。これは静坐も同じで坐禅のように「悟り」を求めて行うことを否定する。そうであるから混元トウは「勁」を得るための功法ではない。王の提示している「混元」トウは既に馬歩トウ功に近づいていると見なければならない。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(13)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(13) 王キョウ斎(キョウは草冠に郷)は『意拳正軌』の「トウ法換勁(勁を得るためのトウ法)」に「修行を始めるに際してトウ法は実に多い。たとえば降龍トウ、伏虎トウ、子午トウ、三才トウなどである。ここではこうした煩雑さを避けて簡単にし、各トウ法の優れたところを取って、合わせて一つにしたものを混元トウといっている。これは勁を生じさせるのに有効であるし、実際の攻防にも使うことができる」と述べている。つまり意拳で中核となるのはトウ抱式(馬歩)ではなく、混元トウなのである。混元トウは形意拳に古くから伝わる功法で、たた静かに立っているだけのものである。これは太極拳でも重視する人がいる。混元トウは儒教の瞑想法である静坐と同じく一定の形はない。ちなみに「静坐」は坐禅のような坐法を用いても良いし、椅子で行っても良い。重要なことは動かないで内面を見つめることにある。そうであるからこれを立って行っても構わないことになる。「坐」には「むなしく」「なすところなく」の意もあるので、静坐は必ずしも坐るということに限る必要はないわけで「静かにむなしくしている」ということにもとれるのである。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(12)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(12) いうならば「高い姿勢の馬歩」は従来の武術の鍛錬法にはなかったものなのである。そうであるならば、それがどのようにして生まれたのかというと、これは意拳で考案されたものと思われる。ただ意拳で太気拳のように馬歩トウ功(立禅)を中核的な鍛錬法としてそれをのみを長く練るかというとそうでもない。意拳で中核とされるのは混元トウであって馬歩ではない(意拳では「立禅」のような馬歩トウ功をトウ抱式という(「トウ」は手篇に掌)。これはまたトウ抱提抓トウとも称される(最初の「トウ」は手篇に掌、最後の「トウ」は椿の春の「日」が「臼」)。これは掌の形をいうもので少し指を曲げる形がものを抓(か)く(掻く)ようであるところから来ている。つまり「提抓」とは指を練る龍爪功の鍛錬のことなのである。沢井健一の示している太気拳の立禅もよくこうした指の形を示していることは、先に触れたとおりである。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(11)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(11) 高い姿勢での馬歩トウ功は鍛錬法としては意味がないと考えられていた。馬歩は低い姿勢で練ることで足腰を鍛えることもできるし、上半身と下半身にストレッチをかけることができるのでそれらの適切な関係を構築することが可能となる。またこれはストレッチと同じで大きな負荷をかけてそれを解き、再び負荷をかけること(緊張と弛緩)を繰り返して、柔軟性を持った強い体を作ることができると考える。これはヨーガのアーサナも同じである。適切な緊張と緩和によって気血の流れを促し、経絡のような内的な体をも開くことができると考えるわけである。この「適切な」緊張と緩和のことを「火加減(火候)」という。太極拳で「柔」を体得する時に鄭曼青は楊澄甫からある時は「緩めすぎている」と注意され、ある時は「固すぎる」といわれたと述べている。「柔」もただ力を抜けばよいというものではない。適度に抜くことが求められるわけでありある種の緊張はなければならない。

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(10)

第九十五話 立禅と馬歩トウ功(10) 形意拳にも馬歩のトウ功はあり、これは龍爪(龍身)功に属するものである。形意拳の鍛錬で重要なもののひとつに指功がある。指の功を練るにはその形が重要で、常に五指の先が意識できるようでなければならない。王樹金も常に指功の鍛錬をしていたという。形意拳の指功は指先の感覚を育てるもので、それにより五指につらなる経絡が開くとされる(固いものに打ち付けたりして感覚を鈍化させることはしない)。太気拳の沢井健一の示している立禅の指の形は形意拳の馬歩に近いものである。この掌の形のまま半身に構えれば三体式となる。ただ馬歩で腰を深く落とすことがなければ上半身と下半身の関係を明確に作ることができないので、通常は高い姿勢で馬歩を行うことはないし、ストレッチと同様な効果を期待しているのであるから長時間それを煉る必要もない。長くトウ功を煉る場合には馬歩だけではなく弓歩、虚歩などを組み合わせてそれらを繰り返す。馬歩に疲れたらそのまま弓歩に移り、そして虚歩をとって、また馬歩を行うというようにするわけである。これを20分から30分前後行う。