投稿

道徳武芸研究 静坐と武術(16)

  道徳武芸研究 静坐と武術(16) 中国での静坐と武術、日本での禅と武術、インドでの瞑想と体位(体操)法、こうしたものが時代や地域をこえて必然として修されるようになるのは、こうした組み合わせが心身のコンディションを調えるのに適しているからに他なるまい。ここで重要なことはこうした修行を経ることで枠組みにとらわれない自由さが見出される可能性が生まれたことにある。つまり二つの視点を得ることで実際のエクササイズの方法という枠組みから離脱する契機をつかみやすくなったわけなのである。人は体というものを持つ以上、それに何らかの作用を及ぼそうとするなら一定の「枠組み」を用いざるを得ない。しかしそれに囚われすぎると、場合によってはかえって不調を招くことにもなる。前回に触れた白隠は禅ということに囚われ過ぎて具合を悪くしてしまった。そこで一旦、別の方法をとることで禅のとらわれから脱することができたわけなのである。つまり二つ目の「視点」を得ることで囚われの危機を脱することができたのである。静坐にしても武術にしても本当に重要なことは自分自身をどのようにあるべき形にして行くかに他ならないのであり、自分を一定の枠組みに入れ込むことではない。

道徳武芸研究 静坐と武術(15)

  道徳武芸研究 静坐と武術(15) 静坐も武術ももとを正せば太古の「導引」から出たものであった。つまりこれらは本来的には源を同じくするのであり、おおきくいうなら「養生」術に属するといえる。また「養生」とは「衛生(生を衛る)」を目的としているわけである。「衛生」は現在の日本での言い方をすれば「護身」となろう。つまるところ「「導引」の目指していたのは「護身=衛生」であったのであり、そうした中で「導引」が攻防の技術へと特化して行くのもある意味で当然の成り行きであったと理解される。すでに見てきたように静坐と武術は中国において次第にひとつのものとして修されるようになるのであるが、これが日本では禅と武術がひとつのものとして行われたのと同じであることも既に述べた。またインドでは瞑想を主体とするラージャ・ヨーガが体操法を含むハタ・ヨーガへと発展して行ったとされる。確かに長い時間の瞑想は心身に大きな負担をかけることがあり、白隠のように心身症を引き起こす原因ともなり得る。そのために体操などにより体の調整をしておくのが適当なのである。ちなみにヨーガの体位法は中国の研究者の中には中国の導引がインドに伝わったものとする見方を披瀝している人もいる。単なる中華思想によるものか、また今後なんらかの形で実証されることがあるのか。興味深いところもある。

道徳武芸研究 静坐と武術(14)

  道徳武芸研究 静坐と武術(14) それでは「強兵」を作るためには如何にして「門派の壁」を越えれば良かったのか。それは日本のように柔道や剣道といったひとつのものに統一してしまわなければならなかったのである。柔道、剣道はよくできていて、安全に試合もできるし「闘争心」や「団結心」を養う西洋体育の側面も有している。「強兵」にあっては自分で考えて行動してはならない。上からの命令に服従すれば良いのであり、そうしたものが競技を通して養われることになる。また軍隊や警察などの「武術」は基本的な攻防の動きがわかっていれば十分なのであって、精緻な心身の働きを会得する必要はない。あえて故人が生き残る必要もないわけである。合気道などが試合を廃しているのは目先の勝ち負けにこだわるのではなく、精緻な心身の働きをじっくりと会得させようとするために他ならない。精緻な心身の働きを観察するのは「静坐」も同様で、武術も静坐も本来、基本的な立ち位置は同じなのである。人の体は千差万別である。それに合わせて、いろいろな形が考案されて、それが門派となった。重要なことは修行者自身、あるいは指導者が我欲にとらわれることなく自分の求める動きを追究することである。つまり「門派の壁」など本来的にはなかったのであり、それがあるように思えたのは人の欲望(名誉欲、金銭欲など)が作り出した幻想に過ぎなかったのである。

道徳武芸研究 静坐と武術(13)

  道徳武芸研究 静坐と武術(13) また孫禄堂は太極拳や八卦拳、形意拳などの動きを「静」や「柔」を強調するものに改める。こうして「静坐」に近づけることで「門派の壁」を越えようとしたのであるが、これも新たな「孫家拳」という門派を生み出すに過ぎないで終わってしまう。本来「門派の壁」として問題視されたのは、それがあることにより中国が「強種強民」くわえて「強国」たるの弊害となっていることにあったのであり、それは民間の精武体育会でも同様であった。つまり強い国民を育てて、強い国にしようとする方途として、日本の柔道や剣道といった「武道」の有効であることが中国で認識されて、そうしたものを通して最終的には「強兵」としての国民を育てようとする意図があったのであろうが、孫禄堂など一部の武術家が人の根源的気質としての「性」を開くことにこだわったために、武術には「静」や「柔」が求められ、人の本来的に有している「自由な心身」を開くことになってしまうのである。結局「門派の壁」を越えるという命題の結論は真反対の方向へと向かったことになり、現在の中国武術のおおきな太極拳に代表されるような潮流を作り上げることになった。これは人の自然な心身の働きに合致するものであるから、あるべき「潮流」を形成しているとすることができよう。

宋常星『太上道徳経講義」(8ー9)

  宋常星『太上道徳経講義」(8ー9) 善能を事とし、 水の善は一に留まるものではない。あらゆるものを潤し、万物を育て、舟や筏を渡す。体の汚れを流して、物を煮る。その場その場による働きを持っている。その時その時で適切に働いている。これらはすべて水の善なる徳の働き(能)である。そうであるから「ずばらしい働き(善能)」とあるのである。もし人において、その徳なる「性」が完全に現れているならば、心神は活発に働き、事や物に応じて適切に動くことができるであろう。自分と他人との間において何らの執着もない。これがつまり「すばらしい働きをよく用いる(善能を事とし)」ということなのである。 〈奥義伝開〉「善能」は後に儒教でいわれる「良能」と同じである。これは老子から千年ほども後であるから、説明が細かくなって人の「善」から「良能」が生まれるとする。そしてこの「善」は人の本来の気質である「性」によるものであるから、老子のいう「善能」も「性」に由来するものと考えて良い。そうであるから「良能」は「善能」ということもできるわけである。老子のいう「善」も人間の本来的な部分に存しているもので、それを努力して得るのではなく無為自然であればそのままに表れ出ることになる。

宋常星『太上道徳経講義」(8ー8)

  宋常星『太上道徳経講義」(8ー8) 善治を政(ただ)し、 水が万物を育てることを「政し」とする。水が天に昇れば雨露となる。地に降れば河川となる。それぞれであるが天下にあまねく水は及び、万物を育てる働きをしている。水の徳は万物を潤し、その生成の変化は無窮で計り知れない。そうであるから「善治を政し」とあるわけである。水の政(ただ)す働きは、聖人が天地において、化育を助け、人々を安らかにし、万物を和合させるのと同じである。こうして天下のあらゆるものの存在意義を尽くさせるわけである。それぞれがその生を全うする。このように聖人はすべてが適切に治まるようにと働きをしている(善治を政す)のである。 〈奥義伝開〉「治」は整えるということで、水は善く整え正す働きがあることが述べられている。これは水の浄化作用をいうものと解することができるであろう。水により体の汚れを落とすことはどこにでも見られることであるし、それは現在でも放射能汚染を結局は水で洗い流さなければならないのを見れば、如何に水の働きが時代や環境を越えて有益であるかを知ることができる。水は汚れても、それを本来のきれいな水に戻すことができるわけで、そのことはどのように汚染されても水の本質は変わらないということである。それは人の「性」も同様で、どのように欲望に汚染されてもその本質は変わらない「善」を有しているとされる。

宋常星『太上道徳経講義」(8ー7)

  宋常星『太上道徳経講義」(8ー7) 善信を言い、 水は本来的には言葉を発することはないが、入江や海を見ると波立っていて、そこには音を聞くことができる。それは渓谷でも聞こえるし、滝でも聞こえて来る。これがつまりは水の「言」なのである。満月となる三日前から潮が満ちてきて、新月の三日後には潮が引いてくる。その時は正確で、何ら変わることがない。水の誠実(信・まこと)であることはこのようである。ここに聖人を見てみると時が熟した時に行動が起こされる。そしてそれには必ず自然の法にかなっている。そうであるから疑いもなく天下のあらゆることに通じているということができるのである。「信」とは永遠に疑われることのないものである。そうであるから水の「善信」と聖人の「善信(善なる信)」とは同じなのである。ために「水の善信」がここで説かれている。 〈奥義伝開〉ここでの「信」は信ずるというのではなく、誠・真ということである。宋常星は「言」を波音、水音のように解しようとしているが、必ずしも「音」としなくても、「語る」ととることも可能であろう。水は「信」を語り、教えているということである。それは水が法則により正確に姿を変えることにある。個体化(氷)するのも、機体化(水蒸気)となるのも常に一定の温度においてそれが発生する。それはあらゆるものが「法=道」によって動いていることを教えているわけなのである。