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外伝10孫禄堂の「道芸」研究(46)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(46) 抱着皮球(弯弓射虎学) 「皮球を抱く」は両掌を前に構えた時に、下にやや押すような形となる。この時に皮の球を押すようなニュアンスを持つわけである。皮球は孫禄堂が太極拳に例えたものであることは先にも触れた。これはこの掌の構えが揺らぎを含むものであるということでどのようにでも変化をすることを「皮球」は示しているわけである。また弯弓射虎では両掌の間を見るとされている。これも左右に自在に変化をするためである。また足も伸ばさず、曲げずでなければならないとある。これは次の双撞の拳訣とも共通している。ともに変化のための拳訣である。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(45)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(45) 響発連声(転角擺蓮学) 転身をして擺脚をする時に左手、右手を打つのであるが、その時に音を連続して発するようにすることに注意を促している。孫禄堂は十字擺蓮では必ずしも手を打つ必要はないとしているが、ここでは手を打つことを求めている。この違いは転角擺蓮が身法による蹴りであるのに対して、十字擺蓮が歩法の変化によるものであるところにある。ために現在、多くの孫家ばかりでなく楊家でも十字擺蓮はトウ脚で行われている。ただトウ脚では変化が少なくなるので好ましくはない。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(44)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(44) 如按気球(下歩跨虎学) 孫家では両手で上から抑える形となる。これは上歩七星を「合」として退歩跨虎を「開」とする楊家などとは大きく違っている(孫家では「開」の動きではない)。「気球を按(お)すが如く」とは気は沈めつつも上へと向かう勢が足を上げることで生じることになる。この勢は片足をあげることで明らかにされている。ここで押す気球は大気球であるとされ、ために「鼓起」の勢が得られるとする。太極拳には「神は内斂、気は鼓騰」の拳訣がある。心は鎮まり、気は活性化するということである。そうであるから「如按気球」の拳訣は太極拳のすべてに通じるものであり、これにより「神は内斂、気は鼓騰」が得られることになる。孫家の「如按気球」は蹴りへの変化を行うための拳訣である。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(43)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(43) 収進懐裏(上歩七星学) 「収進懐裏(収と進は懐の裏〈うち〉)」は、十字に合わせた手の動きの拳訣で、「収」と「進」は一見して相反するようであるが、これらの勢はすべて懐の内にあると教えている。これを細かに言うなら「収」は手の動きで、「進」は体の勢となる。楊家では上歩七星と次の退歩跨虎は一連の技であるとされ、両手は前に推して、腰を引くことで次の動きの下がる勢を生じさせる。相反する勢が上歩七星に含まれていることには変わりはないが、孫家では次の下歩跨虎と特別な関係にあるという構成にはなっていない。上歩七星学だけで両腕で丸い勁の勢を作ろうとする。この拳訣は五行拳にも当てはまる。十二形拳では馬形拳や虎形拳などにも共通している。「収」とは相手の勢を吸い取るような感じで「合気」の働きとしても良い。五行拳は通常の拳術のようにただ突くのではなく、触れた腕で相手の勢を受けて吸収して、前に進む勢(跟歩)によって攻撃の勢を得るのである。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(42)

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(42) 一鳥在樹上(進歩指トウ捶学) 孫家の進歩指トウ捶は歩みを進めて最後に下段に突きを入れる。この時、樹の上の鳥のようであれというのである(一鶏、樹上に在り)が、それは樹上で下方に飛び去る獲物を見ている形であるとの説明がある。このイメージはまさに宮本武蔵の描く「枯木鳴鵙図(こぼくめいげきず)」と同じであるとすることができるであろう。つまり獲物を捉えようとしてまさに飛ばんとする、その「未発」の機をここでは学べと教えているわけである。この技は決して歩みの勢を拳に使おうとするものではない。また直線に歩まなければならないこともない。下段を打たなければならないこともない。自然な歩みの中にあらゆる動きの変化を含む「未発」の機のあることを知らなければならない。  

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(41)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(41) 横着分開(十字擺蓮学) 現在、多くの孫家の演武では擺脚ではなくトウ脚を用いている。これは楊家でも同様で、新架(澄甫架)では十字トウ脚と称していることもある。それは前に出る勢のあるトウ脚の方が次の技につなげやすいからであり、また擺脚がやや難しい動きであることも関係していよう。十字擺蓮では「横着分開」が拳訣として挙げられているが、これは漢文調で読めば「横に分開を着(ほどこ)す」となる。また中国語では「横に分開する」と読むことができる。楊家では転身をする勢を使って腿法を用いるが、孫家では十字に重ねた両掌を一気に左右に開く勢を用いる。これは「合」から「開」の身法であり、また「縮」から「伸」への展開でもある。このように手(梢節)が全身の動きを導くのは形意拳の特徴といえよう。太極拳では「脚」が勢の基本となるので転身をする勢を利用するわけである。

外伝10孫禄堂の「道芸」研究(40)

  外伝10孫禄堂の「道芸」研究(40) 用意縮勁(更鶏独立学) ここでは「用意(意を用いる)」が述べられており、そこでは下に向かう勢である「縮勁」と上へと向かう勢の「頂勁」が同時に行うよう求められている。縮勁は肩に、頂勁は心において用いられる。肩に縮勁を用いるということは股にも縮勁を用いるということであり、これは伸びようとする動作とは反対となるので、その拮抗するところに蓄勁がなされることとなる。更鶏独立は片手、片足を挙げる形であるが、これには手、足での攻撃が内包されている。ただ漫然と手足を挙げていたのでは更鶏独立の意味がなくなる。動きにおいては「縮勁」であるが心は「頂勁」を持っていて何時でも力を発することができる状態となっている。