道徳武芸研究 八卦拳と宗教秘密結社〜董海川「以前」を考える〜
道徳武芸研究 八卦拳と宗教秘密結社〜董海川「以前」を考える〜
五術(命、卜、相の占いと仙道と医術)の伝承者である秦浩人は八卦拳を紹介したページで不思議なことを述べている。
「仙道においては、まず八卦拳からはじまり、それから梅花拳にはいります。また門派によっては、八卦拳から武当拳にはいるのもあれば、少林拳にはいるものもあります。しかし、いずれにせよ、八卦拳というものは、あらゆる拳法の基礎です」(『中国仙道房中術』)
ここでは八卦拳があらゆる武術の基礎であるとしている。これはひとつの見解としては妥当なものであろう。そして、それを基礎として武当拳に入る、というのは形意拳や太極拳を学ぶということである。かつては八卦拳、形意拳、太極拳を「武当拳」や「内家拳」と称することがよくあった。また八卦拳を基礎として少林拳を学ぶのも現在の八卦拳が羅漢拳を欠くことからすれば、あるべき方向性ではあろう。本来、八卦拳には八卦掌と羅漢拳の二つの体系がある。秦が紹介している八卦拳は走圏だけの孫派の八卦掌であるため、それを補う「羅漢拳」部分が必要となるということである。
さて、ここで「不思議な」というのは仙道において習われるべき拳として梅花拳が挙げられている点である。八卦拳と梅花拳が関連を持つ「空間」として唯一、考えられるのは近世中国の宗教秘密結社である。そして、それは八卦拳の淵源とも関係するものと思われる部分がある。以下、そうしたことに就いて述べてみよう。
中国近世の清朝にあって民間武術が「地下」に潜伏することになったのは禁武政策によるのであるが、結果として武術と秘密結社が強く結びつくことになった。その中核となったのは白蓮教と天地会である。これらは一個の組織というより宗教色の強いのが「白蓮教」の系統であり、互助団体的な性格に重きがあるのが「天地会」の系統ということである。実際に動いていたのは実に多くの組織であって、それらに何らかの全体を統合するような命令系統や組織があったわけではない。「八卦」が関係するのは白蓮教の系統で八卦教として出てくる。八卦教での武術としては離卦拳、震卦拳、坎卦拳などがあった。これに就いては『藍籍外史』に次のようなエピソードが記されている。
「嘉慶丁巳(嘉慶二年・1797年)、山東省の済寧の出身である王祥は馮克善に拳法を教え、馮はよくその術を受け継いだ。庚午(嘉慶十五年)の春に牛亮臣は馮の拳法の中に『八方歩』のあるのを見て『この八方歩は、八卦に似ていますね』と言った。牛は『あなたはどうして、それを知っているのですか』と問うたところ馮は『私は坎卦拳を習っているのです』と答えた。すると牛は『あなたは坎卦拳、わたしは離卦拳ですね。我々二人の拳を合わせれば離坎の交わりとなります。互いに教えあいましょう』ということになった」
この史料から分かることは、はじめに八卦教があって、その中ではそれぞれの結社によって離卦拳であるとか、震卦拳、あるいは坎卦拳などが練習されていた、ということであり、そうした中で馮克善と牛亮臣が出会って共に「八方歩=八卦歩」というもののあることを知って技術の交流を行った、ということである。八卦教の中では円周上を歩くような練法が共に行われていて、それぞれの結社では八卦のひとつの卦に合わせるなどした拳が考案されていたものと思われる。こうした八卦教が広まっていたことは故宮博物院に残る皇帝の命令書に、
「聞くところによれば卦子匪賊は江南に発して、今や河南、山東、直隷、山峡にまで及んでいる。彼らは男でも女でも拳や棒を習っている」(雍正六年・1728年に発令されたもの)
とあり、まさに中国全土に波及している様子が分かる。こうした状況の中で太平天国の乱や義和団事件など宗教結社による「反乱」が起こされている。
既に述べたように「八方歩」とは円周上を歩くような歩法であろうと思われるが、史料からすれば離卦拳では「八卦歩」、坎卦拳では「八方歩」と称されていたと思われる。同じものであったから馮は牛の動きを見て驚いたわけである。このエピソードがおもしろいのは現在の八卦拳で同じ構造が見られることである。つまり円周上をまわる八母掌の他に八宮拳というのがあって、これは自由にいろいろな技を入れて作ることができるようになっている。つまり八卦教でも、基本として八方歩や八卦歩があって、八宮(八卦)はそれぞれに作られていたわけである。八卦拳では八宮拳に離宮拳や坎宮拳などが編まれているが、八卦すべての拳があるわけではない。これも、各卦の拳は、それぞれの結社で編まれて、外部に伝わったものもあれば、そうでないもののあったことを伺わせている。
八卦教が隆盛を極めて朝廷から危機感をもって見られていたのは十八世紀のことであった。それに対して梅花拳が歴史の表で活動をする義和団事件は二十世紀の始めである。これらにはかなりの開きがあるが、おそらく八卦拳も、こうした長い歴史の中で時には梅花拳を練る結社に伝わったこともあったかと思われる。そうして梅花拳の系統では歩法、身法の基礎として取り入れられていたのかもしれない。何れにしても八卦拳と梅花拳をつなぐのは「宗教秘密結社」である。こうした背景を考えれば董海川「以前」の「八卦拳」が、どのようなものであったのかも、ある程度は想像される。
また一部には董海川が太平天国の乱の生き残りで、皇帝を暗殺することを目的に朝廷に入り込んでいた、とする口碑もある。これには根拠となるような史料はないのであるが、こうした口碑があることは、何らかの隠された「事実」を反映しているとも考えられる。つまり「宗教秘密結社」との関係である。実際のところ王樹金は一貫道の信者であった。一貫道も大陸で広く信仰されていたが、弾圧もされていたので大陸では、ある程度は「秘密結社」化もしていた(現在、大陸は根絶されたという。台灣では合法化されている)。また孫錫コンも同教の信者であった。こうした宗教結社と八卦拳との強い関係性は形意拳や太極拳には全く見られない八卦拳に特有な「背景」であり、そうしたことが八卦拳の「神秘性」とも関わっているようでもある。
他にも八卦拳には董海川以外の流伝があるようで、それは陰陽八盤掌がよく知られている。かつては八卦拳の「源流」とも考えられていたこともあったが、今では八卦拳を基に「捏造」されたのではないか、とする説も優勢である。陰陽八盤掌を世に知らしめたのは『陰陽八盤掌法』を著した任命致誠であるが、任は李振清に学んだとする。李の弟子には他に蕭海波が居て、王樹金はこれに師事している。
私見によれば陰陽八盤掌は八卦拳とは別の系統にあるものではなかろうか、と思っている。それはこうした流れの他に陳泮嶺の師事した佟連吉は伝承系図で董海川からの流れが「不明」とあることにもよる。董からとするのは佟の伝えた技が八卦拳に似ているからであろうが、そうであるなら何故、董からの系統が明らかにされていないのかは疑問である。おそらく佟の系統も八卦拳などとは別の系統にあるのではなかろうか。八卦拳はかつての八卦教からの広い歴史の流れの中から世に出たひとつの系統であり、他にも八卦教から派生した「八卦拳」的なものも少なからず伝わっているものと考えられるのである。