姚姫伝『老子章義』(第七十一章から第七十六章)禅と密教〜カウンター・カルチャからサブ・カルチャーへー〜
姚姫伝『老子章義』(第七十一章から第七十六章)禅と密教〜カウンター・カルチャからサブ・カルチャーへー〜
禅宗では、よく棒で打ったり、怒鳴ったり、頭の上に履物を乗せてみたりする奇異な行為をして「悟っている」と見なす傾向がある。また密教では呪術で欲望を満たそうとすることに疑問の抱かれることが稀である(密教寺院では今日でも日々人々の欲望を満足させるために金を取って護摩を焚いている)。こうした本来の仏教に明らかに反した行為が何故、肯定されてあからさまに行われているのか。それは釈迦の唱えたカウンター・カルチャーとしての仏教が次第に社会の中で変容して行ってサブ・カルチャー化して行ったためと思われるのである。以下では、そうした文化的変遷を60年代からの日本に見られたカウンター・カルチャーからサブ・カルチャーへの変移を通して考えようとしている。
かつて日本では1960年代ころからカウンター・カルチャーなる文化流行があった。これは世間で認められている文化的価値観に反するものを示すことで、より自由な生き方の可能であることを模索しようとしたものであった。しかし、こうした文化運動は1980年代あたりからサブ・カルチャーへと変容して行く。カウンター・カルチャーの基調をなすのは「エロ・グロ・ナンセンス」である。今では右翼の代表のように言われる三島由紀夫も、当時は澁澤龍彦などと並んでカウンター・カルチャーの旗手と見なされていた。三島は「左派」が知的とされる傾向へのカウンターとして「右派」を演じていたわけである。カウンター・カルチャー運動において「エロ・グロ・ナンセンス」などは、本質的にはカウンターを行うためのツールであり、それ自体には意味のないものであった。しかし、これがサブ・カルチャーとなって行くと「エロ・グロ・ナンセンス」だけが残って悪趣味系であるとか鬼畜系であると称されるようになる。この段階では「エロ・グロ・ナンセンス」は単なる娯楽と堕してしまっていた。つまり「手段」の「目的」化が、サブ・カルチャーにおいては起こっていたのである。
釈迦が唱えた仏教は本来はカウンター・カルチャー、つまり「反バラモン」であった。しかし中国仏教は始めから国家仏教として受け入れられたため、カウンター・カルチャーとはなり得なかった。これがサブ・カルチャー化していた道教と「習合」して奇異なパフォーマンスを好しとする悪趣味(露悪)系の禅宗が生まれることになる。道教における露悪系の系譜は荘子から始まる。『荘子』(外篇「至楽」)には妻の葬儀で荘子が盆を叩いている様子を咎める人に「人の死は自然のことである」と応じたことが書かれている。このような、あえて盆を叩くような行為が露悪的であり、こうしたことは正月にドクロを持って歩いたとされる一休などと共通している(正月はめでたいのではなく、あらに死に近づいていることを示した)。このような人々の感情をあえて逆なでするような露悪的な行為が評価される風潮が禅宗では形成されて行ったわけである。
一方、密教はバラモン教と習合することでサブ・カルチャー化して行ったのであるが、それが更に先鋭化してタントラ化すると反社会性は、より大きくなって鬼畜系に近くなる。仏教におけるタントラは「あらゆる罪なる行為が空を悟ることで解消される」とすることを前提としており、あえて大きな「罪」を犯すことを悟りへの原動力としようとしたのであった。本来は、その「罪」は大きい程いいのであるから殺人などが好ましいとも言えるが、殺人を犯してしまうと悟りを開いても社会で生きていくことはできない(死刑になったりする)。そこで社会的には許されていて、仏教的には許されない最大の行為として性的な禁忌を犯すことが選ばれたのである。しかし、これも結果的には何らの効果もなく「変態的な愉しみ」や「土俗的な迷信(原始的な男女の交わりがもたらす豊穣信仰)」に堕してしまうことになる。
カウンター・カルチャーをして生きて行くのは、ひじょうに困難である。体制に媚びることの方が遥かに生きやすい。そうしたこともあってカウンター・カルチャーから発する文化はそれが継続されて行けば「カウンター」的な部分は薄れて行って「手段」が「目的」化したサブ・カルチャーへと変容してしまうのである。サブ・カルチャーにおけるかつての「目的」的行為は既に本来の意味は失われている。そうであるから禅宗における奇行も密教における呪術も、全く意味のない行為なのである。
姚姫伝『老子章義』(【 】の部分が姚姫伝の注)
自分が分かっていない、ということが分かっている人は優れている。自分が分かっていないことを知ることがない人は賢明であるとはいえない。こうした(後者のような)単なる無知は良くないが、(前者のような)無知であることが分かっているのは「聖人の無知」ともいうべきである。(第七十一章)
【「道」は直接にそれを知ることはできないとされている。こうした「知ることができないことを知っている」のが「道」に通じていることなのである。こうした(自分が分かっていない、という)ことが分かっている人は賢明であるといえる。分かっていないことを知らない人は賢明とはし得ない。一般の人は大体において分かっていない。そうであるのに「道」を知ろうとして、いろいろな知識を積み上げて行く。これは好ましくない状態を日々にさらに積み上げていることになる。そうして「道」のことが分かったと喜んでいる。これを好ましくないと言わないことができるであろうか。聖人はこうしたことを特に賢明ではないとしている。しかし、こうした「無知」は人が意図的に知識を求めるから発生したことで、そうしたことをしなければ、このような思い上がった「無知」は生まれて来ない】
民が権威を畏れることがないところに、真の(「道」への)畏れがある。
狭いと感じなければ、それを厭うこともなかろう。嫌と感じなければ嫌とはならないわけである。聖人は自然に知ることができたことを、特に価値判断をすることもない。例え良いと思っても、それに執着することはない。そうであるから「得られないものは顧みることなく、得られるものを得る」と言われているのである。(第七十二章)
蛮勇を奮うと殺される。勇気があっても、あえてそれを振るわなければ生きて行ける。蛮勇を振るうか、振るわないか。これを人は利害によって決めるのであろうが、それは天がどのようなことを憎むのかが分かっていないからである。
【あえて人を殺す。あえて生かそうとはしない。この二つは、それぞれに利害がある。こうしたことは(有為である)意志をもって行われているので、(無為)自然の禍福とは異なっている。自然に人が死んだり、生きたりするような禍福ではない。こうしたことが天の働きであることは、それを人は知ることができないので分かっていないのである】
聖人は、このような利害による判断を好ましいとはしない。
天の道は争うことがない。そうであってもよく勝ることができる。あえて応えようとしなくても、適切に応じることができている。来るのを求めることがなくても、(必要なものは)自ずからやって来る。ゆるやかであるが、あらゆるところに及んでいる。そうであるから天の網は荒いようでも、拾うべきものを漏らすことはないのである。(第七十三章)
人は本来的に死を畏れることはないものである。しかし、どうして死を畏れているのか。もし、(誰かが人に)強いて民に死を畏れさせるとすれば、それは(自然に反した)特異なことになる。自分はこうしたことをあえて選ぶことはない。あえて民を殺そうとは思わない。民を殺すのは、そうした役目の者が居て民を殺している。そうであるから現実に民を殺す者は、そうした役目の者に代わって殺しているのである。これは「大いなる執行者に代わって殺す」ということである。しかし大体の場合、殺人者は自分の思いによって殺しているのであり、真に「大いなる執行者」に代わって人を殺している者はごく希である(第七十四章)。民が餓えると収奪者が潤うことになる。収奪が過ぎると民は餓えるわけである。民を統治するのが難しいのは、統治者がかってな思い込みで統治をしている場合である。そうなれば民を納得させることはできないことになる。人が本来、死ぬことを気にしないのは、生きることに大いなる関心があるからである。そうであるから死のことを考えることもないのである。しかし、生きることにもとらわれないのが(「道」にかなった生き方であり)、生きることを貴ぶことよりもまさっている(第七十五章)。
【生きることにもこだわらないのは「無欲」であるからである。素朴に生きるということでもある。こうした「無為」のままに生きている人は少ない。また、そうした人が「大いなる執行者」に代わって民を殺すことはほとんどない】
人は生きていれば「柔」らかくしなやかである。しかし死んでしまうと「堅」くこわばってしまう。草木も生きているものは「柔」らかく脆い。しかし枯れてしまうと干からびて、つまり「堅」くこわばってしまう。それは「死」の特徴であり、「柔」らかくしなやかであるのが「生」の特徴である。そうであるから兵隊を強く(=堅く)することは好ましいことではない。木でも堅い(=強い)ものは(倒れやすく)同様である。「強」いものは下であり、「柔」らかくしなやかであるのが「上」なのである(第七十六章)。