道徳武芸研究 太極拳における快拳と砲捶

 道徳武芸研究 太極拳における快拳と砲捶

「楊家太極拳に砲捶はあるのか」こうした疑問が語られることは少なくない。ある者は「隠された砲捶があるはず」と言うし、ある者は「これまで楊家に砲捶が伝えられた形跡は全くない」と語る。陳家太極拳では必然ともいうべき砲捶が現在のところ楊家で見い出せないでいるのはどうしてであろうか。こうした疑問の中で快拳はどのように位置付けられるのか。これらを以下、太極拳のシステムを通して考察してみた。


一般的に中国武術は母拳と砲捶とで成り立っている。母拳は「基礎」で「体」、砲捶は「実戦」で「用」とされる。要するに基本と応用である。しかし太極拳では陳家を除いて砲捶を見ることができない。また母拳ともいうべき套路も楊露禅の頃から基本的には変わっていないようである。それは露禅の頃に別れた武家や呉家の套路が大体において現在、写真などで明確に知ることのできる楊澄甫の套路と大差ないことからして基本的に変更のないことが分かるのである。また陳家では一路、二路として必ず砲捶をシステム上、不可欠としているが、楊家では全くそうしたことはない。

一方で楊家の系統では呉家に快拳がある。陳家を見ると一路はゆっくりであるが、二路の砲捶はひじょうに速い。こうしたことから快拳を砲捶と捉える見方もある。快拳は呉家の他に楊家では董英傑が考案したものがよく知られている。また鄧時海(楊澄甫、呂殿臣、王子和の系統)も独自に快拳を編んでいる。陳家では最終的には砲捶を充分に練ることを目的としているが、楊家の系統では何れも快拳はあくまで傍系的な套路であり、あまり重視はされていない。また傅鐘文も快拳を考案していたようであるが、晩年に本人に確認したところ「快練も慢練も同じ」と返されて、快拳の套路につては言及されなかった(アメリカからの帰国の途中、日本に寄った際に聞いた)。つまり傅も快拳を重視している様子は全く見られなかったのである

陳家はかつては「陳家砲捶」として有名であった。陳家の砲捶の基本は通臂拳から独自に考案したものである(陳王庭によるとされる)。陳家溝の隣の洪洞には通臂拳が伝わっていて、母拳である「長拳」の動きは陳家太極拳によく似ている部分がある。ただ他の套路は全くの通臂拳であるから、おそらくは陳家溝から「長拳」は伝わったものなのであろう。つまり洪洞では陳家砲捶を「母拳」として、それから「砲捶」たる通臂拳へと至るシステムがあるということである。一方、陳家溝では太極拳が入って来たことで、太極拳を「母拳」として陳家砲捶を「砲捶」とするシステムが作られたと考えられる。もちろん、そのために太極拳はそのまま太極拳であることはできず、陳家砲捶の動きの理論によって再編成されなければならなかった。そうしなければ、うまく陳家砲捶には繋がらないからである。ために陳長興は現在のような陳家太極拳の一路、二路を編成したわけである。

楊露禅は陳一族ではなかったために陳家砲捶を伝授されることなく、ちょうど陳長興が学んでいた太極拳を教えられることになる。これには砲捶は付属していなかったと思われる。それは後の歴史的な経緯を見ても砲捶のあった痕跡が楊家の系統にはないし、以下に述べるように拳のシステムからしても砲捶は存在し得ないからである。太極拳は十三勢と称するのが本来で、太極拳としたのは王宗岳である。ただ十三勢の全ての動作が「太極」つまり相対の関係にあるかというと、そうではない。例えば攬雀尾を見ても「ホウ、リ、擠、按」の「ホウ」は「上への崩し」、「リ」は「下への崩し」で、これらは相対の関係であるから太極とすることができるが「擠」は「前へ推す」動きであり、「按」は「下へ推す」動きである。そうなると「擠」と「按」は「前」と「下」で相対・太極の関係になっていない。このように太極拳の総手とされる最も典型的に太極拳の動きを表している攬雀尾においても太極の関係は破綻しているのである。こうしたこともあって太極拳では太極を「大太極=大宇宙」と「小太極=小宇宙(人体)」と解するとしている。


なぜ太極拳には砲捶がないのか、それは「速さ」の捉え方が一般的な武術と異なっているからである。一般的には速く動くことが実戦において有利であると考えられている。しかし太極拳では「触れてから速く動く」ことを重視する。触れない間に速く動いても意味はない、と考えるのである。つまりいくら速く打っても、それが当たらなければ意味がないわけで、いくらゆっくりでも当たれば有効となる。また速く動くのはそれにより打撃力を得ることができるという利点があるからである。加速を得るにはある程度の距離が必要で、数センチの距離で打つ寸勁よりも数十センチの距離をして打つ尺勁の方が有効である。しかし太極拳では打撃力を距離によって得るのではなく、寸勁のような短い距離でも加速を得ることで、ある程度の打撃力を得ようとする。このための密訣として楊澄甫は「推手放勁三気法」を伝えている。つまり「フン(口に亨)」「ハイ(口に亥)」「ハア(口に合)」の発声で、これらはそれぞれ「ホウ」「擠」「按」の発勁に対応している。また「フン」は相手の体の中に衝撃を与える短勁、「ハア」は相手を飛ばす長勁にて用いられるとの教えもある。これらは王向斉によって「試声」として位置付けられていることと同じである。このように太極拳では触れてからの加速を重視するので、速い動きの套路としての砲捶はシステム上からも必要ないわけである。十三勢の「勢」とは十三の動きそれぞれ、つまりどのような体勢でも、その中に力を発すること(勢)が内包されているということなのである。

そうしてみると快拳は、単に慢練だけしか知らない初心者に速い動きへの転換を体験させるものに過ぎないことが分かる。ただ、そうしたものは推手などを練る過程で自然に身について来るものでもある。そうであるから快拳はあまり重視されていないわけであり、また触れる前からの加速は打撃の正確さを失うことにもなるので、よほど快拳の練習を必要とする人以外には、これを練ることはある意味でかえって弊害が生じることにもなりかねない。つまり快拳は太極拳というシステムにおいて砲捶とは全く違った位置にあるものなのである。体を緩めて触れた瞬間に急激な加速によって打撃力を得る「勢」の鍛錬、これこそが太極拳の核心なのである。究極の動きとしての「形=砲捶」を完成させるのではなく「形」そのものを超越して「動けば技になる」といった「勢」を得る境地に入る。そのことこそが太極拳の本義であるのである。


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