姚姫伝『老子章義』(第六十五章から第七十章)国家神道と大本教〜神々は対峙したのか〜

 姚姫伝『老子章義』(第六十五章から第七十章)国家神道と大本教〜神々は対峙したのか〜

大本教は第一次大本事件(1921年)と第二次大本事件(1935年)と二度にわたる弾圧を受けている。不敬罪と治安維持法違反によるものとされるが、これをして大本教は国家神道に対峙した、と評されることもある。大本教では国家神道の唱える天照大神を中心とする統治の正当性に疑問を呈していた。真に日本を統治するべきは天照大神ではなく、国常立尊であるとしたわけである。こうして見ると国家神道と大本教では天照大神と国常立尊が「対峙」していた、と解することもできるかもしれない。

しかし、私見によれば国家神道と大本教は「同じ構造」を持っているのではないかと考えている。つまり大本教は国家神道のパロディであり「真の姿」を示すものとされていたのであった。そうであるからこそ当局の大々的な弾圧を受けたわけである。神話にあって天照大神は「理」を象徴している。太陽は決まった時に決まったところを移動する。農耕もそれによって規則正しく行われなければならない。一方、素戔嗚尊は「情」を表している。自然では台風や地震などとすることができよう。台風や地震は何時、来るのか分からない。また劇的な破壊力を持っている。素戔嗚尊は母親が亡くなるとひたすら泣いて結果として国土は荒れ果ててしまったとある。高天原においても天照大神との「契約(うけい)」に実際は勝っているのに言い負かされてしまい、反論も出来ず暴れる。こうした行動は理性によるものではなく感情からのみ発している。

形式的に国家神道は天照大神を中核とするものであるから、それは「理」の展開でなければならなかった。実際、修験道のような「迷信」が禁止されたり、御利益信仰の基盤であった神仏混交も禁止になった。神社「参拝」は「理」をもって仏教とは分けられ慣習的な「儀礼」とされて、通常の意味での「宗教」ではないと位置付けられた。しかし実際の国家神道は天皇崇拝を強要する「情」を基盤とするファシズムそのものであった。つまり国家神道の「天照大神」は「理」の働きである天照大神ではなく、「情」を表す素戔嗚尊の顕現であったのである。これを出口直は「艮の金神」(すさぶる「情」の象徴)と感得し、近代になってその神が復活して来ていることを「筆先」として示したわけである。つまり「艮の金神=天照大神」として出てきたのが国家神道であり、それを大本教では「艮の金=国常立尊」としているわけである。

大本教では「雛型(ひながた)」という考え方がある。これは「世の縮図」が大本教で示されるということであり、まさに国家神道の「縮図=雛型」がここに表れているわけであり、それは「素戔嗚尊」のような「あらぶる神」「情の神」の顕現であったのである。このように大本教と国家神道は同じ構造であったために戦後、国家神道が崩壊してしまうと大本教も急速に力を失ってしまった。大本教は正式には「大本」と称する。もし「大本」が宗教を越えた人智学的なものとして展開して「国常立尊意識」などとして神道を超克する形で国家神道と対峙していれば戦後は大きなムーブメントになったかもしれないが、こうした本格的なオカルト学は、あるいは難し過ぎて多くの人の理解し受けれられるところとはならなかったかもしれない。



姚姫伝『老子章義』(【 】の部分が姚姫伝の注

かつて「善」と称されていたものを、ここでは「道」と言っている。「善」は誰でも知っていたことであり、これを知らない者は愚かであるとされた。民を統治することが困難であるのは、民のことを余りに詳細に管理しようとするからである。細部まで民を管理しようとするような国の統治はうまく行かないものである。適度な管理をする方が良い。これらは「稽式(歴史に学ぶべき事)」でもある。

【民を細かく管理して統治するのと、そうでない統治、この二つの違いは民情を知るとか、知らないということにあるのではない。加減の問題ではなく、あるがままに任せるかどうか、ということである。(無為自然を実践していた)古の聖人の徳のことを考えると、これらは普遍化し得ることである】

こうした「稽式」をよく分かっていることを「玄徳」があるという。「玄徳」は深いものであり、普遍的でもある。つまり(順と)逆が共にあることで、大いなる「順」に至るのである(第六十五章)。


大きな河や海は「谷」の王であるとすることができる。それは「下」流にあって、あらゆるものが、そこに集まるからである。こうしたことは聖人でも同じで、聖人は民の上に居るが、自分自身は上に居ようとは思っていない。むしろ「下」に居ようとしている。民に先んじて行動をするが、自分は決して前に出ようとはしない。しかし結果として先にあって民を導いている。他人から重視されなければ、それを害する者もあるまい。こうした慎みをもって行動していれば、全てにおいて「楽」をして対することができる(自分も「楽」しいし、相手も「楽」しい)ものである。そうなれば争いが生じることもない。そうであるから「誰も争うことができない」と言われているのである。(第六十六章)

天下の人が皆、我が「道」が偉大であるのは慎みがあるからである、と言っている。ただ偉大であるだけであれば、そこに慎みはない。もし慎むだけであれば、それは偉大であるとは言われまい(第六十七章 以下に続く)。


私には三つの宝がある。それは一つは「慈」であり、二つは「倹」で、三つは「あえて天下の先とならない」である。本当の「慈」は、よく「勇」であらなければならない。よく「倹」であるということは、よく「広」であるということである。「あえて天下の先とならない」からこそ「あらゆるものに先んじる」ことができているのである。もし「慈」を捨てて単に「勇」であるだけであれば、「倹」を捨てて単に「広」だけであれば、「天下の先とならない」ことを捨てて「あらゆるものに先んじる」だけであれば、それは崩壊へ向かうことになる。「慈」をして戦えばこそ、真の勝利が得られるのである。それはつまりはむやみに攻撃をしない、ということである。他国を侵攻することがなければ、その国に信望が集まり自ずから、そうした国は他国から助けられることになる。つまり天が「慈」を下すわけである。つまり「慈」であることが最も優れた防衛の方法なのである(第六十七章)。「善」なる人は戦おうとはしない。「善」なる人が戦うのは怒りをもってではない。「善」なる人が敵に勝つのは争わないからである。「善」く人を使う者は、自分を下に置いている。これを「不争の徳」という。あるいは「用人の力(自然と他人が良いように動いてくれるようになる状況)」と称する。これは「配天(天つまり「道」のあるがままの働き)」「古の極用(古来より最も優れているとされる方法)」と呼ばれている(第六十八章)。用兵について言われていることがある。それは「吾はあえて主とはならない。客となるのである」「あえて少しも進むことなく、退くのである」である。これは「進軍とは軍を進めないこと(真の国防は外交にあるということ)」とされることでもある。「相手を打つ臂(軍事力のこと)を持たない」ことでもある。つまり敵そのものが居ない状況を作り出すのである。そうであれば軍隊を用いることもない。大いなる災いとなるのは軽々に兵を用いることより発する。敵を軽視して軽々に兵を用いると、我が宝である「慈」「倹」「天下の先とならない」を失うことになる。そうであるから争う時には、互いが思いやりを持っていなければならないことになる。そうなれば結果として講話が成り立ち争いを止めることができるのである(第六十八章)。


私は、大変に知りやすいこと、行いやすいこととされることは、本当はそうではないと思っている。言うことには一見して分からない「本質」があるのであり、行うことにも、そうして「本質」隠れている。こうした「本質」部分は、簡単に知ることができないわけで、自分はそうしたことを知っている。自分が知っているのは、自分は本質が分かっていないということである。そうであるから自分は物事がよく分かっている貴重な存在であると思う。つまり聖人は外見はそうは見えなくても、内面には優れたものを有しているのである(第七十章)。


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