道徳武芸研究 西野皓三の見たもの〜西野流呼吸法の現在地〜

 道徳武芸研究 西野皓三の見たもの〜西野流呼吸法の現在地〜

1990年ころ西野流呼吸法が流行した。これはマスコミで多く取り上げられたこともあったが、それが成立し得たのには「西野皓三」なる人物が居たことが大きく関与している。当時、西野のことを知る人は既に少なくなっていたかもしれないがテレビ草創期には「飛ぶ鳥を落とす」といわれた西野バレエ団を率いて由美かおる、金井克子、奈美悦子などの芸能人を輩出していた。殆ど知られていなかった西野流がマスコミで突然、大々的に取り上げられたのは西野がかつて築いたテレビ人脈に負うことが大きかったようである。メディアの露出を増やすことでブームを作るのは昨今になった始めて注目されるようになった感があるが、メデイアの裏表を熟知していた西野は既に1990年頃からそうしたメデイア戦略を実践していたわけである。この一事をもってしても西野が一般的な武術家などとは次元の違うスケールの人物であることが分かろう。既に西野は「真実が映像になっているのではない。映像になっているのが真実なのである」という映像メデイアと大衆の関係性を熟知していたのである。


西野には数回取材で会ったことがある。また一度、銀座のクラブに接待?されたこともある。雑誌の編集長を通して何度か誘いを受けていたのであるが、興味もないので断り続けていたが、ある時ちょうど編集部に出向いた時「これから行きましょう」と言われて相伴に預かったという感じである。それはともかくインタビューに行く時には少し前に出向いて稽古の様子を見ることが多かった。その時に座って見ているだけであるのに気が自然に励起して来るのを覚えたものである。こうした現象は気功や太極拳を暫く練っていると表れるのであるが、何もしないのにそうした活性化が生まれる経験は他には無いことであった。確かに西野が何かを体得していたのは確かであろう。稽古を見たのは全て西野が指導してた時であったので西野流というシステムにそうした機能があるのか、西野自身に依るものかは判然としない。


西野が指導したのは西野流呼吸法であるが、これは呼吸法と対気とする二つのエクササイズで構成されている。これら二つは西野の修行した合気道と太気拳の影響を色濃く反映している。合気道は呼吸力を重視するし、また太気拳は組手を重んじていて対気と太気は共に「たいき」で共通している。西野が合気道を始めたのは50歳代という。おそらく自身のバレエの体験などから日本の武術として「最も完成した動き」を持つのが合気道と考えたのではないかと思われる。しかし数年の後に合気道の実戦性に疑問を持つようになる。このあたりのことは『気の発見』に書いてあるが、西野が優れているのは合気道の「技」を使おうとしなかったことである。合気道は「技」をそのまま実戦に使おうとすると「合気道でなくなる」という矛盾がある。理念的にも「愛の武道」である合気道が、その技を用いて争えば合気道たり得なくなるわけである。当時「実戦」を謳うものには極真系の空手もあったが、太気拳を選んだのは固定した「技」がなかったことが関係しているのではないかと思う。西野は合気道は「気」の鍛錬であると考えていたようで、同じく「気」の鍛錬を重視する太気拳に親和性を感じたようである。生前「顔を打たれるのは精神的に耐えられない感じがある」と西野は言っていたが、かなり打ち合いにはこだわりがあったように見受けられた。そうした中で、それらを克服する「気」として見出したのが「全身の細胞の活性化」であった。「気」を出すとは「全身の細胞を活性化」させることであり、それにより全ての問題を凌駕できると思っていたようなのであるが、それは後に触れる西野の人生観と深く関係していたと思われる。


一般には「全身の細胞が活性化」すれば武術的な強さも得られるかの如く認識されていたし、それ以外のあらゆることにおいて好ましい状況が得られると受け取られてもいた。西野流呼吸法はバレエ、合気道、太気拳が融合してできたとされるが、それらに通底するのが「気」であったわけである。既に述べたように呼吸法で得られるのは合気道でいう呼吸力である。それを実際に使うのが対気となる。合気道や太気拳は武術であるから「攻防」の枠組みの中にある。植芝盛平が「愛の武道」と言っても、やっていることは相手を倒す手段に他ならず、合気道ではこうした矛盾が解決されないままになっている。これを解決したのが対気である。対気は太極拳の推手と似ているが、太極拳ではもちろん攻防の練習として推手は位置付けられている。しか対気では、これを「気」の活性化のバロメーターと位置付けており、それは攻防を越えたもの、これまで武術で人類が「武術・武道」に求めていた「細胞の活性化」という目的を明確にしたシステムとして行われることを提唱したわけである。確かにこれこそが「愛の武道」としての「合気」のあるべき姿ということができるのではなかろうか。


西野流呼吸法を一躍有名にしたのも対気であったが、その急速な凋落を招来したのも対気であった。触れることなく相手を派手に飛ばしてしまう対気は、これが武術的に使えるとすれば従来の武術に対して絶対的な優位を得られることになる。しかし武術的な意味で対気では相手を飛ばすことはできない。これは飛ばされる方が飛ぼうとしないと、そうはならないのである。現在でも触れないで飛ばすパフォーマンスを行う武術家は少なくないが、これは通常の攻防とは別の次元において成立していることでもある。つまり触れないで飛ばすシステムの主体は「飛ばす」方にあるのではなく、「飛ばされる」方の心にあるのである(飛ばされることで、その組織の中で良いポジションに居ることができるなど)。本来、対気は「攻防」を目的とするものではなく「細胞を活性化」させるためのものである。ために「攻防」とは違って飛ばされる側が「楽しそう」にしていることが言われていた。しかし、不可思議な対気を見た多くの人達は、そこに「強さ」を見て、その急速な発展の中で対気を単なる「攻防の技術」と狭く捉えるという誤解が生まれたようである。


思想的に対気を捉えるならば、それは二人が手を触れて押したり、引いたりする間に気の交流が生まれる。そのちょうど良いタイミングで指導する側が押し込む、それを機に押された側は、日常のとらわれから自由になってパフォーマンスを行う。これは植芝盛平の言う「神楽舞」とすることもできよう。そして西野流を構成しているというバレエの要素、つまり演劇的な要素はここにあるのではないかと思われるのである。西野は「今、生きていることのみが真実で、他は全て幻想である」とする。心理学的、社会学的には我々が「生きる」とは生存している事実の他には、いろいろな社会的な役割(父母、係長、学生など)を演じている。そうしたものかたら一旦、自由になって「生きる」ことだけに従順である時、その時にこそ「細胞が活性化」されると西野は考えていたのではなかろうか。そして、その時が対気で飛ばされた時であったのではないか。ある人は奇声を上げて走り回る、ある人は身を激しく踊らせる、これは個々人が社会的な制約を離れて自由に動いている姿なのではないか。西野が対気のパフォーマンスをする時に往々にして「この人は、◯◯大学の教授で」とか「◯◯病院の院長で」「◯◯寺の管長で」などと紹介するのも、単なる権威付けではなく、そうした社会的な地位にある人、社会的な規範に絡め取られている人も、対気で自由になれる、ということを言いたかったのではなかろうか。


昨今も、触れないで倒すことを売りにする人は多いが、そうしたものと対気との「違い」を感じるのは、ここで述べたように遥かに高い次元に西野の眼はあったと思われるからである。改めて、その価値は再考されるべき時が来ているのかもしれない。またパフォーマンスとしての対気を考える上では、新体道の栄光も参考になる。これらは等しく日常の束縛からの解放を目途としているからである。ただ個人的には日常というパフォーマンスに、とらわれのないパフォーマンスを対置しても、結局は別のとらわれに(「日常的なとらわれ」から脱して「非日常的はとらわれ」に陥る)危険もあるのではないかと思っている。西野がなぜ澤井健一が最も重視していた立禅に全く関心を示さなかったのかは不思議でもある。個人的には立禅から坐禅(静坐)の方に、むしろ解放への可能性を強く感じている。それはパフォーマンスそのものから離脱すること「未発のパフォーマンス」であることが、そうした行為のとらわれから自由になれる方途であると思うからである。


ちなみに和泉式部の言う「身を思ふとて身をや捨つべき」に通じる感覚をもってして対気や栄光を体験して来なかったわけではないことは一言しておく!!(このエピソードは『沙石集』にあるので興味のある方は「原文」を参照されたい)。


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