道徳武芸研究 牛舌掌と龍爪掌〜八卦拳と八卦掌〜

 道徳武芸研究 牛舌掌と龍爪掌〜八卦拳と八卦掌〜

八卦掌には二大流派があると言われている。尹福派と程廷華派である。そして、これには掌形として牛舌掌龍爪掌の違いがある。牛舌掌は指を閉じた掌形であり、龍爪掌は開いた掌を用いる。尹福も程廷華も共に董海川に師事しているのにも係わらず、このように基本的な掌形が大きく異なることが現在では「前提」とされているが疑問といえば疑問であろう。長い歴史の中で他の武術の影響や個人の体験などにより形が変わってしまう、ということはよくあることであるが同じ師から学んで、このように大きな違いが生じているのには何らかの合理的な理由があると考えるべきであろう。

そこで思い至るのは孫禄堂で、孫は郝為真から武家太極拳を学んだ後、形意拳も八卦掌も手を開く形に改めている。これは武家太極拳からの影響である。武家では掌を開く形をとる。いうならば武家は「龍爪掌」であり、楊家は「牛舌掌」であるとすることができる。楊家では掌に殊更に力を入れることをせず自然に指を伸ばす。ために鄭曼青は「美人掌」と称している。

また陳家太極拳では大きく掌を開くことのない「瓦龍掌」を用いるが潘詠周は五指を開く掌形を取っている。このように注意して見ると一つの流派でも掌を開くものと合わせるものがあるのが分かる。私見によれば、こうした違いは指功の鍛錬によるものと考えている。五指を開くのは指先に注意を送るためであり、これは指功を練っているとすることができるわけである。ただ五指を開いた形では変化をさせることが難しい。またその変化は指先の感覚が育っていなければ円滑に行えない。こうしたことからすれば五指を開く「龍爪掌」は掌法の基本を練るためであり「牛舌掌」は変化を促す形であったと思われるのである。あるいは「八卦掌は掌だけを用いて闘う」という妄説も「龍爪掌」が変化の難しい形であることげ原因しているとも考えられる。


ちなみに指功には握力を鍛えるものと、指を鍛えるもの、それに指先の感覚を開くものとがある。指功として最も有名なものに一指禅がある。一指禅の名が世間に知られるようになったのは1951年に海灯法師がそれを行ってからであるとされている。この一指禅は人差し指だけで倒立をするものであり現在でも動画や写真で見ることができる。動画によると坐って人差し指を前に出す気功のような動作もしており、この一指禅が単なる物理的な負荷を指に掛けて強くする方法でないことが示されている。ただ海灯法師の「倒立」についてはそれが真実であるのかに大きな疑問がある。また人差し指だけを鍛えても武術的にはほぼ意味がない。一指禅は少林一指禅、空勁一指禅などが気功として一時、流行した。

他に有名な指功としては鷹爪功がある。これは一般には単なる握力の鍛錬のように思われているが、正しくは太極拳でいう「按脈」である。按脈は相手の心身の動き(そのルートが「脈」)を感知して逃げられないように掴むのであるが、鷹爪拳ではそれに加えて握力も鍛錬する。微細な感覚による正確な位置の把握と強い力で掴むという二つの功が成って始めて鷹爪功は完成するわけである。こうしたことは軽身功でも同様で跳躍力を鍛えると同時に瞑想も行う。鷹爪功でも軽身功でも武術としてそれを使うには相手の心の動きを読んで、それを適切なタイミング(機)で用いる必要があるのである。


以上のように功法には基本と応用があるのであり、そうしたことからすれば龍爪掌、牛舌掌は共に八卦拳の龍爪功を練るためのもので、龍爪掌は基本、牛舌掌は応用であることと考えるのが妥当であることが分かる(牛舌掌のような掌方であれば容易に掌から拳への変換が可能であり、これは実戦的な掌形といえる)。ちなみに八卦拳では扣掌という指功の鍛錬がある。これは牛舌掌の形で親指にアクセントを加えるもので指先の感覚を養うことができる。また龍爪掌に近いものに上式、下式という鍛錬法もある。これは基本の構え(推勢 乾坤手)から前に出している腕を上げたり、下げたりして走圏を行うもので、こうした姿勢をとると上げた(あるいは下げた)腕の手首のあたりにテンションが掛かるので自ずから掌は開き気味になり、そのテンションは指先にも及ぶことになる。これは八卦掌の龍爪形ほど親指を開くことはないものの龍爪掌的な鍛錬であるとすることができる。つまり八卦拳では上、下式で龍爪掌の感覚を開き、更には扣掌でより牛舌掌に近い形での鍛錬をして変化の掌形である牛舌掌に近づけ、最終的な牛舌掌へと至るようになっているわけである。つまり龍爪掌は牛舌掌へと至る入門の形であったのである。


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