道徳武芸研究 三元と「合気上げ」神話の超克と〜剣術から柔術へ〜

 道徳武芸研究 三元と「合気上げ」神話の超克と〜剣術から柔術へ〜

三元は古神道でいう「一霊四魂三元八力」の中の「三元」で、これは「剛、柔、流」をいう。これは物質が固体、液体、気体であることからイメージしたものと考えられるが、剛と柔は共に固体の様態であるからこれであれば気体がないことになる。植芝盛平が三元に「気」を加えているのは物質の三態に合わせたものとも解釈できるが、盛平の考え方からすれば合気道の実戦的な感覚からあえて三元に「気」を加える必然を感じていたものと思われる。そうであるからこれは四元ではなくあくまで三元であり「気」は三元すべてに及び、それを統合するもの(むすび)でもある。

ここでは三元を「合気上げ」を通して見てみたいと考えている。つまり「剛」は大東流の「合気上げ」、そして「柔」は合気道の「呼吸力養成法」、「流」を「臂力の養成」に比定して、これが剣術から柔術へと変化して行く中で「合気上げ」の必然の変化として考案されて行ったものと考えるわけである。


大東流は剣術の裏技として誕生した「合気上げ」の手法から近代になって武田惣角により柔術化が図られた。剣術には裏技として柔術が付属している場合が多い。一方で近世に発達した柔術には、こうした剣術に付属するものの他に、相手を取り押さえたり剣術に対する護身の技術があった。大東流に有効な柔術技である足払いや腰投げがないのは、刀を指しているからとされる。つまり刀を指しているので相手を引き付けるような方法は取り難いわけである。また「合気上げ」がただ「上」に挙げるだけなのは、抜刀を前提としているからである。それは両手で押さえられた時に如何に抜刀をするか、を考えて考案された技術なのである。刀を使われては圧倒的に不利になるので相手は必死で腕を抑えに来る、こうした状況が想定されて「合気上げ」は考案されている。

そうであるから「合気上げ」は、押さえる方が肘の力を抜いてしまえば「合気」は掛からなくなってしまう。大東流の名人とされた人物が水戸黄門で有名な女優に「合気上げ」を掛けられなかったのは合気道の「呼吸力養成法」では強く押さえることをしないためで、つまりは肘を含めた腕全体に力を余り込めていないためであった。相手が強く抑えていないのであれば、こちらはそのまま抜刀をするだけなので、あえて「合気上げ」を使うこともないわけである。


このように剣術をベースに生まれた「合気上げ」の動きは日本刀と同じく上下の運動線によっている。よく「合気道は剣術の間合い」とされる一端はここにある。上下の動きを基軸とする合気上げに対して呼吸力養成法は、左右の動きに特色を持っている。そうであるから肘の力が抜けていても相手をコントロールすることが可能となる。抜刀を意識する必要のない状況においてはより柔術として展開しやすい動きということができるであろう。柔道なども左右のさばきを基本としている。


これに対して塩田剛三が考案した臂力の養成は、歩法を使うところに特色がある。刀を指していない状態であれば体を左右に変更させることは容易であり、それを用いることも有効であるので、この鍛錬法は歩法が強調されているといえる。臂力の養成を中国武術の視点から考えれば「一」は形意拳的であり、「二」は八卦拳的であるとすることができる。これらに共通しているのは体の移動する勢いを手法に利用している点である。形意拳も八卦拳も共に歩法に特徴があり、歩法によって生じる勢いを手法に利用しようとする。

臂力の養成の「一」は形意拳の劈拳の初めの動作である両手を合わせて突き出す動きと理合は同じであり、体の移動で生み出される勢いを腕の動きと合わせることで臂力が生まれる。臂力の養成の「二」は八卦拳と似ており体の変更による状況の変化を促す方法を見ることができる。腕を取られて一旦、反対の方に向くのは、これにより相手の力を無力化するためである。そして振り向いて体と手の統一された力を用いている。八卦拳では強く腕などを掴まれた場合には、とりあえず歩くことが求められる。これにより握っている部位の角度が変わるので握りを甘くさせることができるわけである。殊更、合気云々と難しいことを考えなくても、ただ持たれた状態で歩けば変化は生じて来るのである。


「合気上げ」は刀を携帯している時にのみ有効な技法であり、それは相手の手首の関節を極めることで全身をコントロールする方法であった。技術的にはおもしろいところもあるが、腕を押さえることに絶対的な意義がないところ(共に徒手であるような時)には、その有効性を過大に評価するべきではあるまい。また合気上げは少し理合を知っていれば簡単に外すことも可能である。

かつて戦艦大和がそうであったように、日本人は「木を見て森を見ない」傾向がある。大和自体は戦艦としては最高峰ともいうべき船であったが、それが完成した時には既に飛行機が主役の時代になっていた。合気上げも、その技術には興味深いものがあるものの両手を取ってくる徒手での相手は実戦では皆無といえよう。ほぼ使うシーンのない技を苦労して会得しても仕方がないということになるのではなかろうか。


さて三元について盛平がそれに「気」を加えた理由としては「一霊」との関係がある。合気道では「一霊」は引力の働きであり「むすび」である。これが三元において働いているということである。大東流の「合気上げ」も、合気道の呼吸力養成法でも、臂力の養成でも、それらには全て「引力」としての「合気」が存しているわけである。つまりこれらは「合気上げ」が変化したものであり、これらは柔術が主体となるにつれて自然に「合気上げ」の呪縛からより自由で適切な「合気」の運用が模索されて行った結果であると思われるのである。



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