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道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(4)

  道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(4) 「速さ」と「威力」のバランスを考えた「母拳」に対して、砲捶はあえてバランスを欠いた動きとなる。より「速さ」を重視してより短い距離から攻撃をする(寸勁)ものや「威力」を重視してより長い距離から攻撃をするもの(踏み込んで、その勢いを利用する)などがそこに含まれることになる。こうして攻撃の起点から終点まで間における「変化」を習得する。つまり起点から終点までの「線」をより長くしたり、短くしたり、あるいは曲げてみたりして予想外の動きをしようとするのが砲捶なのである。しかし太極拳では動きを「点」の集合と考える。熟練する程その「点」の間隔は狭くなり、その関係性は密接となる。そうなると一見して拳を突き出す「線」の動きと見えるものも、実際には「点」の連続が「線」の軌跡を作っているに過ぎないことになる。つまり太極拳においては「起点」と「終点」の区別はなく、すべてが起点であり終点である「点」の連続となっている。こうなると太極拳における実戦性とは起点から終点までをどのように扱うかにあるのではなく、「点」をどのようにコントロールするかにあることになる。相手に接触した、その一「点」の力をいかにコントロールするかが第一の課題となるわけである。そうであるからその力は寸勁といった3センチの距離からさらに短い分勁(3ミリ)、そして冷勁、接勁などの完全に密着した状態での力の使い方と深められることになる。これはまた粘勁などと称することもある。

道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(3)

  道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(3) およそ武術の動きを構成するのは「速さ」と「威力」である。速く相手に攻撃が達して、その力が大きい程、有効な攻撃ということになる。ただ一定の威力を得ようとするならば、ある程度(数十センチくらい)の距離は必要となる。そうした中で速さを得ようとするならば距離を短くするより他にない。しかし距離を短くしてしまえば威力はその分、減退してしまう。そうであるから如何にして「速さ」と「威力」のバランスを考えてシステムを構成するのか、が武術の套路を考える上での基本となる。「母拳」はそのバランスの比較的良いところ、平均的なところを取るので、大きく言えばどの門派、あるいはボクシングや空手などにおいても違いが少ない。よく試合になると門派の特色が出ない、とされるのはルールに最適化した動きになるからである。もし何らのルールも無い試合であれば門派の特色は出やすいが、こうした「真剣勝負」を練習として行うのは実質的には不可能である。

道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(2)

  道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(2) 以下に述べるように理論的にいって太極拳には砲捶は存在し得ないことをしても陳家太極拳の理論は太極拳そのものとは大きく異なっていることになる。陳長興の頃には砲捶と外から入ってきた太極拳があったが、陳一族以外には陳家の拳(砲捶)は教えないことになっていたので、拳を学びに来た楊露禅は太極拳しか学ぶことができなかった。それが有名になって陳三品は陳家の拳こそが太極拳の源流であるとして、陳家太極拳を称するのであるが、その演武を見れば動きの理論の違いは明白であり、「陳家は太極拳の源流」といった先入観がなければとても陳家と楊家が同じ理論の拳であるとは思えまい。また陳家では砲捶が行われていたということであれば、そこに何らかの「母拳」のあったことが想定される。おそらくそれは通臂拳的なものであったのであろう。他にも陳家溝では中国では広く練習されている洪拳なども入っていたとされるから、そうした拳を独自に工夫したのがエッセンスとしての砲捶であったと思われる。おそらく時代と共に砲捶以外のいくつかの拳は練習されなくなり、ただ砲捶だけが残った。結果として練習が難しくなったために陳長興が太極拳をヒントに基礎鍛錬の套路として一路を考案したのではなかろうか。

道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(1)

  道徳武芸研究 なぜ太極拳には砲捶が無いのか(1) 一般的に中国武術は基本である「母拳」と応用である「砲捶」とで構成されている。またこれらは死套路、活套路などと称されることもある。ただ太極拳に砲捶の存在を見ることはできない。ちなみに陳家太極拳には砲捶があるが、陳家太極拳は理論的には太極拳そのものではなく、その基本は通臂拳にある。通臂拳の理論を陳一族が独自に変化発展させたのが陳家太極拳である。太極拳は何度か陳家溝に入っていたようであるが、陳長興の時には太極拳によって大きな変革が陳家の拳である「砲捶」にもたらされた。陳長興は陳家の砲捶の基本となる套路を考案したのである。これが一路で、陳家の砲捶は新しく太極拳の影響を受けて考案された一路と従来の砲捶である二路により構成されるようになる。その後に楊露禅が北京で太極拳を広めるようになると陳品三などが楊露禅の「太極拳の源流」を名乗って陳家の砲捶を太極拳と唱えるようになった。本来は陳一族の拳ではなかった太極拳であるが、それが北京を中心に広く知られるようになったことで、逆に自らの拳を太極拳と称するようになったのである。

宋常星『太上道徳経講義』(23ー4)

  宋常星『太上道徳経講義』(23ー4) こうしたことは天地に限るものではない。天地は永遠ではない。それは人においても同様であることは言うまでもない。 天地の道は自然そのものである。寒暖に誤りがなく、どのような時でも円滑に動いている。山河は静かに落ち着いており、万物は育っている。陰陽の二気は盛んで、化して万物となる。「一」なる気が周り、これが化して雨となる。強雨や長雨は天地によるものであるが、その働きが極めて甚だしくなれば、それをまったくの自然であるとすることはできない。そうしたことがどうして長続きしようか。そうであるから「こうしたことは天地に限るものではない。天地は永遠ではない。それは人においても同様であることは言うまでもない」とあるのである。 〈奥義伝開〉人は死ぬ。それが「自然」のことである。そうであるから殊更に死を重視することもない。また生まれるのも同様で、全く特別なことではない。鎌倉時代の明恵は生残、死後はただ一日が過ぎただけである、と言っている。生きている今日も亡くなった明日も、等しく一日が進んだだけというのである。人が死を悲しむのは永遠に生きることができないという現実を見せられるからであろうが、生死は自然のことなので、死は諦めをもって対するより他はなかろう。

宋常星『太上道徳経講義』(23ー3)

  宋常星『太上道徳経講義』(23ー3) つまり飄風(大風)は朝だけに吹くのではなく、驟雨(長雨)は一日で止むものではないのである。 「飄風」とは、恣(ほしいまま)に強く吹く風のことである。「驟雨」とは長雨が降り続くことである。陰陽が適切に得られていれば、自然の風雨となり、陰陽が適切でなければ、「飄風」「驟雨」となる。これらは自然の道ではないので、その勢いは長く続くこともない。一時のことに過ぎない。こうして天地の荒れ狂う気を排しているわけである。あらゆることは機が熟して起こり、終わりを迎える。不条理なことが止まないことはない。そうであるから「飄風は朝だけに吹くのではなく、驟雨は一日で止むものではない」とされている。こうしたことは「調和が失われている」とされ、そうであるからひじょうに荒れ狂っているのであり、それが「飄風」「驟雨」の暴風、暴雨となっているわけである。修行をする人はこうしたことを戒めとしなければならない。もしそれを知ることがなければ、いろいろと不都合が生じてくることであろう。右も左も分からず無闇に動き、間違ったことを正しいと考え、正しいことを認めることがない。すべてがそうなってしまう。そうであるから充分に注意しなければならない。 〈奥義伝開〉ここでも冒頭の「希言自然」を「希言は自然なり」としたのでは、「故」で始まるこの一節がうまく続かない。自然というものを説明しよう、と宣言しているから、その第一の例として暴風や長雨が挙げられるわけである。どのような現象でも必ず終わりが来るのが「自然」なのであり、それは後に「自然」の特徴として挙げられる「失」に通じるわけである。あらゆるものには終わりが来る。それを人為によって阻止しようとすれば無理、矛盾が生まれる。

宋常星『太上道徳経講義』(23ー2)

  宋常星『太上道徳経講義』(23ー2) 言葉で語られないのが「自然」である。 天地を言わなくても、天地に道は存している。聖人は多くを語ることがないが、聖人は道を実践している。これらは全て自然ということの特徴とすべきところであろう。「言葉で語られない」というのは世間一般の言い方では言葉にしないということであり、言語化に執着しないということである。つまり「自然」をあえて言葉で表現するというのでもないし、しないということでもない。時によって必要に応じて適宜、適切に語られるということである。そうであるからこれを「自然」といっている。自然とは強いて為されないことであり、作られたものではない。そうであるからそれで煩うこともないし、迷わされることもない。その意味は無窮で、そうであるから「言葉で語られない」とされている。現在の人を見ると、ある時には語ることを好んで言語化するのを良しとするし、ある時には言葉で語るのには限界があるとする。そしてやたらにいい加減なことを言って、白いものを黒いと言ってみたり、良いことを悪いことのように言ってみたり、言行が一致していなかったり、事象と理屈が一致していなかったりする。そうなれば国を滅ぼし家を失うことにもなってしまうであろう。身を害して命を失うことにもなろう。これらは全て困惑して不自然なことを言ってしまったからである。充分に注意しなければならない。 〈奥義伝開〉冒頭の「希言自然」を一般的には「希言は自然なり」とする。通常「希言」は聞こうとしても聞くことができなず、言おうとしても言うことのできない「言葉」であるとされている。それが「自然」であるというのであるが、それでは意味が全く分からない。この部分は「希(こいねがわ)くば自然を言わん」と読みたい。自然ということをここに述べてみよう、ということである。そしてそれは「道」であり「徳」であり「失」であることが後に示されている。老子の語ることはひじょうに論理的、合理的であり、曖昧な神秘的なものであるとの先入観をもって読むと全く価値を減じてしまう。