投稿

8月, 2025の投稿を表示しています

道徳武芸研究 『兵法家伝書』に見える「無刀」とは(上)

  道徳武芸研究 『兵法家伝書』に見える「無刀」とは(上) 柳生宗矩が著した新陰流の伝書である『兵法家伝書』は「殺人刀」と「活人剣」とに分かれている。「無刀之巻」は「活人剣」の中にある。おおよそ「殺人刀」は新陰流剣術の技術を説明するもので「活人剣」は心法を説いている。その中核ともいうべきものが「無刀之巻」である。一説によれば上泉伊勢守は柳生石舟斎に「無刀」の完成を託したとも伝えられている。こうしたこともあって「無刀」(取り)は新陰流を代表するイメージとなっていて演劇などでもよく取り上げられる。映画やテレビなどでは「無刀取り」として徒手で相手の剣を取る技のように紹介されている。合気道でいえば太刀取りである。中国武術では空手奪器としてそうした技術が伝えられているが、それ程一般的ではない。日本では柔道や空手の演武でもそうした技が行われているし、新陰流の演武でも見ることができる。しかし『兵法家伝書』の「無刀之巻」ではその冒頭から再三にわたって相手の刀を取るのが「無刀」ではないと、注意を促している。以下「無刀之巻」を読んでいくが、それを見れば「無刀」とは「入身」であることが明らかとなろう。 入身こそが絶対不敗の技術なのである。入身をすれば相手と接触することがない。入身をすれば相手の攻撃は空を切ることになる。どのような巧みな技をして攻撃を防ぐことができても、それを上回る反撃を受けないという保障はない。しかし、入身が可能であれば反撃を受けることはない。それは入身をしている時には、相手は攻撃の途中にあるからである。つまり入身においては相手の攻撃と、こちらの入身とが同時に起きているのである。一方、通常の攻防は相手の攻撃、こちらの防御というように段階を踏んで攻防が行われるので、どの時点で相手の反撃を受けるのか分からない。 『兵法家伝書』では「活人剣」で攻防の動きの心法を説くのであるが、それは攻防の抽象化でもある。つまり攻防とは何か、を問うているわけである。そして攻防のベースとなるのは「相手に負けない=活人剣」ことであり、その上に「相手を制圧する=殺人刀」があることを見出したのであった。そしてその発見は「殺人刀」から「活人剣」へという攻防の抽象化のプロセスの中において始めて明確にされ得たのである。技術として入身は新陰流の形に既にあるものなのであるが、それを明確化、意識化することで...

丹道逍遥 仙道の「最高峰」文始派について

  丹道逍遥 仙道の「最高峰」文始派について 台湾の仙道研究家で「道蔵精華」シリーズで多くの文献資料を出版している蕭天石は、文始派を最高レベルとしている(蕭天石には著作も多くある。翻訳されているものとしては『道家養生学概要』が仙学研究舎のサイトで読むことができる)。一般に仙道として広く知られているのは練丹派(重陽派 王重陽により知られるようになった)であるが、レベルが高いのは文始派とする説が多くある。なぜ文始派が「最高峰」とされているのかについては、それが道家の正宗つまり正伝を受け継ぐものであるからであり、道家はまた太古の瞑想・鎮魂法である「心斎」を思想としてまとめ得た老子を始祖としている(ここでは太古の瞑想・鎮魂法をいう適当な名称がないので『荘子』にある心斎を「心斎」として用いている)。 さてこの「心斎」であるが、老子が周から西方への旅に出るべく函谷関を過ぎようとした時、そこの関令(長官)である尹喜なる人物に教えを授けてくれることを乞われたため『老子』を記して与えた。ここに道家の思想が示されたのである。尹はこれにより『文始真経』を著したが、これからは仙道の文始派が興った。西に行った老子はブッダとなって仏教を起こした(老子化胡説)。その教えのエッセンスは禅宗として中国に伝えられ「心斎」は仏教においては禅宗となったのである。また老子は中国を出る前に孔子にも道家の教えを授けている(『史記』)。こうして「心斎」は坐忘として儒教に入ることになる。以上は「伝説」を組み合わせたものであるが、儒教の坐忘、仏教の禅宗、道教の文始派は共に「心斎」の正伝を受け継ぐとする考え方であり、これにより後には三宗合一が説かれることになる。 ちなみに仙道で現在、中心となっているのは冒頭でも触れたように練丹派である。日本でもよく知られている小周天などいろいろな瞑想テクニックを用いるのが、この派である。これに対して文始派は静かにしているだけで全く瞑想の技法を用いることがない。禅宗でいう「只管打坐」なのである。もちろん『老子』にも瞑想については、その心境は記されているが、テクニックに関しては一切、記述がない。これはただ無為であることを良しとするためである。こうした瞑想法をここでは「心斎」と称しているのであるが、これはどこに由来するかといえば、それは服気によるものと思われる。服気はいうならば呼吸法...

道徳武芸研究 「簡易」と「簡化」の太極拳〜簡化太極拳の場合〜

  道徳武芸研究 「簡易」と「簡化」の太極拳〜簡化太極拳の場合〜 先には「「簡易」と「簡化」の太極拳〜鄭曼青の求めた奥義〜」として主に簡易式について論じたが、今回は簡化太極拳について考えてみたい。簡化で特徴的なのは起勢からいきなり野馬分鬃に入ることである。太極拳からすればこれは攬雀尾でなければならない。太極拳は楊家から武家、呉家、孫家、陳家といろいろな門派に分かれて発展して行ったが起勢から攬雀尾の流れは全てにおいて共通している。勿論、鄭曼青の簡易式でも同様である。しかし簡化ではそうなっていない。つまり、これは「新中国」になって旧時代の太極拳ではなく新しいプロレタリアート(人民)のための太極拳、「太極拳運動」として制定されたことを表そうとしたためと思われる。 これはいうならば武術から体操への変化であった。従来の武術としての太極拳ではなく人民の体操としての太極拳が共産革命を経た新しい中国で制定されたということである。これは中国風にいうなら「功夫」から「武術」へ、ということになろう。「功夫」は中国で武術という意味であり「武術」は功夫を基にした体操をいう語である。 新中国で提唱されたのはこうした功夫(武術)の体操化であった。こうした中で簡化も編まれたのであり日本のラジオ体操のように労働者の健康管理のひとつとして用いられることを意図したのであるが、この流れは後には競技化(床運動競技)の方に大きく進展して行き簡化もその中で主として伝承されて行くことになる。一方「太極拳運動」つまりラジオ体操的な役割は気功の方に受け継がれる。気功は簡化よりも更に簡単であるし、超能力(特異効能)が得られるともされている。 また簡化で特徴的なことはあえて武術的な要素を排除している点である。太極拳の武術性は「勢」を得ることにある。これは「綿綿不断」という途切れの無い動きで養われるが、そうしたことを鄭曼青は「盪」としていたわけである。しかし簡化ではあえて流れ(勢)を生じさせないように構成されている。例えば野馬分鬃は指先が前を向いていなければ肩で体当たりをして体勢を崩した相手を跳ね飛ばすことはできないが、簡化では横を向かせている。また白鶴亮翅も腕を外に返さなければ相手の攻撃を受けることはできない。これらは勁の流れが外に向かないようにする動きであり、武術というより導引的な色彩の強いものといえる。 以下...

宋常星『太上道徳経講義』第七十二章

  宋常星『太上道徳経講義』第七十二章 (1)古くから天の道と人の心は一つであるとされている。 (2)天の道は虚を貴び、人心は謙を貴ぶものである。天の道が虚でなければ、万物を容れることはできないし、人心が謙でなければ己を制して行動することはできなくなる。 (3)これを「竅」とひとつになるという。そうなれば不都合なことの生じることはない。 (4)もし「竅」とひとつになることがなければ、自分が住んでいるところを狭いなどと不満に思うことはないし、生きていて厭うべきことに出会うこともないであろう。 (5)知識を得ることで、理解をすることができる。愛することで、大切にすることができる。 (6)謙虚な心がなければ、人智を越えたところで災いを受けることになろう。 (7)聖人がどのような行動をとっているかを知ることができれば、必ずあらゆるものを超越した大いなる威の極み(つまり道であり天の理)がどのようなものであるか、が分かることであろう。ここで述べられているのはそのことである。そうした威を畏れるのは全ての人であり、それは後世の人にまで及ぶものである。どんな人でも、その威を畏れない人は居ない。 (8)心により行動を制することができていれば、あらゆる行為が妥当なものとなる。つまり聖人はそうしたことのあり方を示しているのである。 【補注】「竅」は「穴」のことである。これは第一章に出てくる。有欲をして見ることのできるのは「竅」であり、無欲であれば「妙」を知ることができるとある。またこれらは共に「玄」より発するものであるとされている。また同章には「衆妙の門」という言い方も見えている。「門」と「穴」は共通するので「竅」は「衆妙の門」ということができるであろう。これは「玄にして玄」なるところとあるので、いうならば「妙」よりも深いレベルで感得されるものと考えられる。つまり「有欲」意図的な修行をすれば、全くのあるがままで見出すことのできる「妙」よりも更に深い境地を知ることができるわけである。これは実際の修行からすればその通りと言えるであろう。本来は「無欲」を尊ぶのが道家であるが実際は「有欲」をして意図的な修行をしなければならない。このことを道家では「逆修」と称する。「逆」をして「順」を知るということである。 1、民が「威」を畏れることがない。それは大いなる「威」が民を支配しているからである。...