丹道逍遥 成就者としての速須佐の男の命と魂の比礼振り

 丹道逍遥　成就者としての速須佐の男の命と魂の比礼振り

先には速須佐の男の命の八岐の大蛇退治の神話はクンダリーニ・ヨーガと等しい霊的な覚醒の儀式を伝えるものであることを指摘しておいた。最後に八岐の大蛇の尾から得られた「天の叢雲の剣」はムラダーラ・チャクラに潜むクンダリーニ・シャクティであり、この剣は最後には高天原へもたらされるのであるが、これは浄化されていない霊的な力（八岐の大蛇）から開放されたクンダリーニ・シャクティが覚醒させられてサハスラーラ・チャクラから出てブラフマーと合一することを示している。ここに「梵我一如」の境地が開かれて三昧（サマディー）が達成されることになるわけである。そうであるから最後には剣も蛇も消えてしまうことになる。

八岐の大蛇神話の次に速須佐の男の命が出てくるのは大国主（おおくにぬし）の命が、根の堅州国（ねのかたすくに）を訪れる時である。そこで大国主の命は速須佐に男の命によって試練を課される。蛇の居る部屋に泊まることを求められたり、ムカデや蜂の居る部屋に泊まるように命じられたりする。この時に速須佐の男の命の娘である須勢理姫（すせりひめ）から蛇の比礼、ムカデと蜂の比礼を渡されて、これを三度振ることで蛇やムカデ、蜂の害から逃れることができると教えられる。こうしたことを経て須勢理姫と結ばれるのであるが、ここに錬金術で言われる「聖なる結婚」が完成するわけである。比礼とは女性が首に掛けたりするスカーフのようなものである。これを振ることは須勢理姫の霊的な力を活性化させることを意味している。こうした呪術は魂振りと称されるが、同様のことは世界的に見ることができる。神道では「鎮魂」の呪術でもあり、人の衣服を振ることで、その魂が活性化されると考える。そのため病人の衣服を振ることで健康を取り戻そうとすることもある。また、この呪術でよく知られているのは大嘗祭の翌年に行われていた八十島（やそしま）祭である。これは天皇の衣服を入れた箱を難波津（なにわづ）で振る。これにより」「八十島＝日本国土全域」の霊的な力が衣服の持ち主に憑いて新天皇は「日本全土」の霊力をその身に得ることができると考えられたのであった。

大国主の命が蛇の比礼やムカデ、蜂の比礼を振ることで須勢理姫の霊力が活性化されて大国主の命が助けられることになるのでであるが、実は大国主の命というのは須勢理姫と「聖なる結婚」をして変容してからの名であり根の堅州国に居る時には葦原醜男（あしはらのしこお）と称されていた。「葦原」は日本国で「醜男」は強い男ということである。つまり葦原醜男とは日本一のストロングマンということになる。しかし、それは肉体的な強さに過ぎなかった。これに須勢理姫に象徴される霊的な強さが加わってひとつの「人格」として完成したのが大国主の命（おおいなる国の統治者）であったのである。つまり葦原醜男は比礼の儀礼を経て大国主の命と変容することが可能となったわけである。

比礼の儀式とは速須佐の男の命から須勢理姫に伝えられたものと考えられ、それを経ることで大国主の命は自己の心身をあるべき状態へと変容させることが可能となったわけである。比礼の儀式を考える上で重要なことは速須佐男の命との関係である。速須佐の男の命は「風」を象徴している。速須佐の男の命は三貴神のひとつで天照大神（日）と月読尊（月）と共に生み出されている。『古事記』には速須佐の男の命が号泣するシーンを「山川ことごとく動（とよ）み国土皆震（ふる）ひぬ」と記しているが、これはつまり山も川も国土全部が動いて震えたということであり「強風」の働きを言っていることが分かる。号泣する時には呼吸が激しくなるし涙も出る。これを台風のようなものと重ねてイメージしたものと思われる。また風があることで日と月との交代が起こると考えられていたようである。つまり「風」は昼から夜、夜から昼への「変容」を促すものであったので、風による変容は伊弉冉（いざなぎ）の命、伊邪那美（いざなみ）の命として示されている。これは「凪（なぎ）」と「波」を示すもので、「凪」は陸風と海風の交代の時に生ずる。つまり「凪」を経て昼（海風）から夜（陸風）に変わると共に風の方向も交代することになるわけである。こうした現象を見て古代日本人は海風が吹くから昼になり、陸風が吹くから夜になると考えたわけである。

葦原醜男と須勢理姫の結婚は植芝盛平の言い方を借りれば魄と魂の関係となる。葦原醜男（魄）と須勢理姫（魂）がひとつになることがすなわち「魂の比礼振り」となのである。また盛平は魂の比礼振りにより、あらゆる技が生み出される、との述べている。つまり魂の比礼振りとは「呼吸力」なのである。先に速須佐の男の命が「風」を象徴する神恪であることは指摘しておいたが、これは人にあっては「息」となる。須勢理姫が大国主の命に授けた比礼の儀式は、つまりは「息」の呪術であった。ここに「天の叢雲の剣＝速須佐の男の命（風）＝比礼（息）」の関係を知ることができる。これが明らかとなれば「呼吸力」とは何か、も明確になる。中国では武息と文息とがあり、それは最終的には真息（胎息）へと至る。武息とは動きをして呼吸を整えるもので、文息は冥想をして整える方法である。武息は太極拳のように動くことで自ずから動作と呼吸、意識を統一しようとする。これは合気道でも同様である。一方の文息は静かに冥想をすることで静かな呼吸を行って、これも呼吸と意識を統合しようとする。こうしたことを経て呼吸と意識と動作がひとつになると真息が生まれる。「呼吸力」とはこのような心身の統一のことをいうのであって、そうであるから「禊」ともいえるわけである。呼吸と意識とが合わないのは心身に不調和（穢）があるからで、それを無くして行くのが合気道の修練である。

この「比礼」の秘儀は根の固州国から大国主の命によって「地上」にもたらされるのであるが、再びこれは「国譲り」によって霊界へと封印されてしまう。つまり大国主の命は「神事」をもっぱら行うこととされてしまうからである。こうして幽冥界に封印されてしまった比礼の秘儀を盛平は合気道によって開こうとしていたのであり、これは「息吹（いぶき）＝気吹」として神道の秘儀であったが、その伝承は秘匿されていた。これを公けにしたのが植芝盛平であったが、しかし合気道の本当の意味を知る人は居なくなっているのかもしれない。