宋常星『太上道徳経講義』(61ー3)

 宋常星『太上道徳経講義』(61ー3)

天下の国々と友好関係を築くことができるとは、牝が常に静であることで牡よりも優れているのと同じである。

ここで述べられているのは先の文の補足である。陰は牝であり、陽は牡である。牝は静を主とし、牡は動を主とする。陰気は静であるから陽と交わることができる。そこが陰が常に陽より優れている点である。陰は静である。そうであるから陽の動を受け入れることができるのであり、交わりが成立するのは専ら陰の働きによるわけである。こうした点が牝は牡よりも優れているとされる。大国の君主も保身を望むのであれば攻撃的ではなく受け身であるべきである。つまり「下流」につくべきなのである。こうして小国と交わりを持てば、自己が(小国からの攻撃を恐れて)疲弊することもないので、これは優れた方法であると言えよう。大国が受け身であれば、近隣の小い国々は喜んで交わりを持とうとするであろうし、遠くにある国々からも交流を求められるようになるので、天下は平らかとなるであろう。それは流れる水が海に帰するような自然の姿でもある。受け身で交わりを持つことで、多くの友好関係が生まれるのである。そうであるからここにある「天下の国々と友好関係を築くことができるとは、牝が常に静であることで牡よりも優れているということと同じである」ということになる。


〈奥義伝開〉老子は「友好関係(交)」の根底に「静」のあることをいう。ここで「牝」という語を使っているのは、これが「女性原理」をいうものであるからで、第六章にある「玄牝の門」というのと同じである。老子は「玄牝の門」が「天地の根」であるとしている。人は往々にして「動」は「陰」と交わることが無ければ新たなものを生み出すことはできない。そしてその「交」わりを主導しているのが「静」なのである。老子は生成の根源にあるのは「動」ではなく「静」であると考えた。それは「動」はよく注目されるが「静」はそうでないのであえて注意を促しているわけである。太極拳などにおいてあえて「静」を練るのは日常の全ての行為が「動」をベースにしているためである。「静」を練ることで「動」とのバランスを取るのである。


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