道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(7)

 道徳武芸研究 『八卦拳真伝』と千峯老人・趙避塵〜武術と静坐〜(7)

意拳では初期の頃の「立禅(トウ抱式)」は深く腰を落としていたが、次第に姿勢は高くなり、現在「意拳」として見られる形は太気拳などよりかなり高いものである。道功を武術を共に練ろうとする場合に問題となるのは道功は意識を内へと向けることを第一とするのに対して、武術は外に向けるというところにある。これを同時に行うことはできないので、道功と武術とは別々に練習されて来たわけである。陳微明の『太極拳答問』でも静坐の特徴に「回光返照」があげられているが「回光」は「内視」と称されるような自己の内面を見つめる意識状態に入ることをいうものである。これは仏教瞑想も同じで止観の「止」は内面を見つめることで「回光」と同じ意味となる。そして「返照」が外界を見つめることである。止観では「観」がそうであり、ここに正しい認識が得られるとする。あるべき意識状態(止)で、外界を見る(観)から正しい認識が得られるわけである。こうしたことを武術でも使おうとしたのが道功との併修であった。


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