道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(15)
道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(15)
植芝盛平が「合気道は和合の武道」「愛の武道」としていたのは「合気」そのものは実戦に使えないことをよく知っていたからであろう。もともと大東流を習っていた時も関節技に実戦性を見ていた武田惣角の見解には同意することなく、早くから高度とされる多くの関節技を取り入れることはなかった。そして当身の重要であることを説いていた(合気は当身が七分)が、これは「間合い」のことで、拳で打つことではない。厳密に言えば拳で打つ動作も「間合い」を操作するものであれば盛平の言う「当身」に入るが、それはあくまで「間合いを操作する動き」という意味においてである。これにより争いを回避する。ここに合気道の最終的な目標を置いていたのではないかと考えられる。そのため大東流から受け継ぐ攻防の形を「気形」と称するものととらえていた。それは攻防の意味をなくす、ということである。打って来る相手を制するのではなく、ただ「手を降ろしながらやって来る相手を避ける」というだけのものとするのである。そうしたところには攻防は既に存在し得ない。