道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(12)
道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(12)
オイリュトミーは感覚概念を身体で表現するもので、それを通してより深い感覚が開けるとする。シュタイナー的にいえば「霊的器官」が作られるということもできるかもしれない。人の脳は身体を通して開かれる部分が多いという。相手の怒っている動きを真似ることで、その感情を理解できるようになる。相手の身体動作を真似ることで相手の感情を深く知ることができる。そうしたことは周知のことでもあろう。そうであるから憧れの人の「真似」をしたくなるわけである。同じ行動をとることで、そうした人と同じ感覚を持つことができ得るからである。植芝盛平は最終的には合気舞を通して「合気」の感覚を伝えることができると考えていたようで、その感覚を敷衍して「和合=合気=柔」の世界を構築しようとしていた。しかし多くの合気道の継承者はその「柔術」的な、晩年の盛平にとっては大東流の残滓ともいうべき部分にのみ関心を持った。結果として開祖の語った神道的な世界観は行き所を失うことになるのである。