道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(11)
道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(11)
大本教を研究して、そのままに植芝盛平の語る合気道の世界観が理解できないのは、盛平の語っていることがあくまで「合気」の感覚をベースにしているからである。それは王仁三郎が得ていた大本教の「感覚」とは別なものであるということができる。盛平は神道的な神秘思想の中に自己の「感覚」を語ることのできるもののあることを予測していたわけであり、そのために大本教以外でも多くの神道オカルティストとの交流があった。盛平がそうした「感覚」の「言語化」にこだわったのは、既に触れたように「感覚」を物的な事象つまり「技」と結びつけるためであった。そうであるから現在の合気杖術は正勝(まさかつ)棒術でなければならず、合気剣術は松竹梅(しょうちくばい)の剣でなければならないのである。そしてそれは最終的には「合気舞(あいきまい)」「合気神楽」として結実されようとしていた。合気舞は言霊の舞とも言われ『武産合気』にそれを実見した様子が記されている。それは盛平が「あ〜」とか「い〜」とかの言霊を発して舞うもので、人智学のオイリュトミーに近いとも言えよう。