道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(10)

 道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(10)

植芝盛平が神道的な神秘思想に晩年は特に執着したのは「合気」が感覚によるものであり、それを如何に表現するかに苦慮したためである。神秘思想とは「感覚」によって外的な事柄を捉えるもので、ある場所が神聖であると感じれば、そこを聖地とする「感覚」による世界観が構築されることになる。盛平が述べていたものは、その「合気」の感覚によって体得した世界観である。それによって感覚と物的な世界(技)がリンクされる。つまり「感覚」である「合気」と、物的世界である「技」とが統合されるわけであり、ここに「合気」と「柔術」の矛盾が解決され得る(止揚)ことを盛平はある程度は意識していたものと思われる。かつては大本教を研究すれば盛平の述べていることが分かるのではないか、と思われて出口王仁三郎の『霊界物語』などの世界観を研究した人も居たようである。確かに盛平の使っている言葉には大本教のそれが多い。しかし結果的には合気道の教えに資するようなものを得られることはなかった。それは世界観の基盤が違っているからである。


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