宋常星『太上道徳経講義』(55ー3)
宋常星『太上道徳経講義』(55ー3)
「赤子」は毒虫も刺すことはないし、猛獣も襲わない。猛禽も羽で打つことはしない。
「毒虫」とは蜂やサソリのことである。「猛獣」とは虎や狼などのことである。「猛禽」とは鷹や鷲のことである。赤子には何かを傷つけようとする気持ちはない。そうであるから自然に赤子は傷つけられることがないのである。「毒」を持っていると、それを使いたくなるものである。「猛(たけき)」ものがあれば襲いたくなるものである。羽で打つことができれば、そうしたくもなろう。しかし赤子は(そうした「力」を持っていないので)内にはそうした心の働きが生じることはないし、外にはその働きを表すこともない。全てに執着することがないのである。そうした存在は、むやみに害を加えられることはない。こうしたことを「赤子は毒虫も刺すことはないし、猛獣も襲わないし、猛禽も羽で打つことはしない」としている。
〈奥義伝開〉ここで述べられている「赤子」は実際の赤子ではない。いまだ人間の欲望に汚染されていない状態を象徴するものとしての「赤子」である。そうであるから、それ自体は実際に存在はしていない。実際の赤子は生まれた時から自己の欲望を達成するために泣くという方法を身につけている。不快なことがあれば泣けばそれが改善されることを知っているわけである。そうであるから実際の赤子は毒虫にも、猛獣にも、猛禽にも襲われてしまう。儒教では生まれたままの状態を「白」に例えて、色が染まっていないとするが、それと同じ考え方である。ここで老子が「赤子」で示そうとしているのは「人」は本来的に「和」の気持ちを持っているということである。これをベースに「人」の行為は考えられなければならないということである。