徳武芸研究 「御信用之手」と「御式内」そして「引進落空」(6)
道徳武芸研究 「御信用之手」と「御式内」そして「引進落空」(6)
およそ大東流の成立を考えてみると、当初は剣術に付属する柔術として抜刀を制せられた時の対抗手段が「御信用之手」として考案された。ただこれは剣術においては大きなパーセンテージを占めるものではなかった。しかし、一方で「御信用之手」は感覚を養うためのメソッドとして座相撲のような遊戯的なシーンで独自の発達もして来た。それが「御式内」である。こうしたメソッドをどのような人たちが修練していたのかは明確ではないが、その伝書に日本伝統の「一」「一」と並べて書く箇条書きではなく、「一」「二」とするような西洋の憲法を思わせる書き方をしていることからすれば、近代初頭に民間で独自に憲法草案を研究するような知的レベルの高い層ではなかったかと思われるのである。こうして養われた「御信用之手」や「御式内」は武田惣角に授けられる時に「大東流柔術」と称されるようになる。