宋常星『太上道徳経講義』(52ー2)
宋常星『太上道徳経講義』(52ー2)
天下には始まりがある、それは「天下の母」である。
天下には存在している物がある。それには始めがある。存在している物には始まりがあるのであり、それは太極の初めでもある。太極には始まりの初めがあり、それは名を持たないが、理としては存している。これが天地の始めである。万物もここが始まりである。つまりこれが、つまりは「万物の母」なのである。これを太極でいうなら「道」ということになり、ここから物が生まれているので、それを「母」ということができる。つまり万物はここから生まれているわけである。万物はこれより生まれ、天地の間の一切の物は「道」に潜在している。有情、無情、有色、無色、こうしたものも、「万物の母」から生まれている。そうであるから「天下には始まりがある、これが『天下の母』である」とあるわけである。
〈奥義伝開〉「天下」とは「存在」という意味である。存在しているものには「始まり」があるとすると、それを「(天下の)母」ということができる、ということであるが、これは次の部分と繋げなければ意味が取れない。つまり「母」には「子」があり、となるわけで、「始まり=母」があれば「終わり=子」があるということで、ここでは人が生まれて亡くなることは、合理的で当然のことであることを言う。中国の古代には永遠の生を求めて仙人たちが探求をしていてたが、老子は「理」を推し進めて考えれば、そうしたもののあり得ないことを見抜いていたのである。