宋常星『太上道徳経講義』(41ー13)
宋常星『太上道徳経講義』(41ー13)
徳を建つるは偸むが如し。
徳を「建てる」ような人は、それを必ず行っている人である。そうなれば、それは功績とされる。聖賢は自分の思いのままに徳を為すのであって、それは天地の心と同じであり、天地の心を聖賢は己の心としている。徳を実践して功績が建てられるのは活発に行為したからである。しかし心の中では徳の実践が足りていないのではないかと常に考えている。「偸む」とは自分が持っていないから盗るわけである。徳をよく実践している人は、自分ではそれで十分であるとは考えない。どれ程、徳を行ってもそれで良いとは思わない。どのような時でも謙譲の気持ちを持っている。そうであるから「徳を建つるは偸むが如し」とされている。
〈奥義伝開〉「建てる」には「知らせる」という意味がある。つまり「徳」を行っていることを他人に知らせるということなのであるが、それは「徳」に似せた行為を誇示して、自己の利益を偽りの「徳」によって偸むような行為であるとの「格言」である。「徳」の持っている本来的な意義を失わせるものであるということである。つまり偽善ということである。こうしたことは多く行われている。老子はこれを有為によって行われるのは本当の「徳」ではない、ちう理解でここに示している。