道徳武芸研究 なぜ柔道は柔術に勝てたのか(1)

 道徳武芸研究 なぜ柔道は柔術に勝てたのか(1)

嘉納治五郎は柔術を近代スポーツの観点から見直し、国民体育として新しい社会に活かして行こうとする意図をもって講道館柔道を考案した。現在「柔道」は講道館柔道のみをいうが、戦前には武徳会や学生柔道(高専柔道)などがあった。それらが戦後に講道館柔道だけになったのは、本来の柔術とシステムにおいて大きな乖離があったためではないかと思われる。本来、柔術は相手の攻撃を受ける形で発達した。柔術がもっぱら「柔(やわら)」の技術であることができたのも積極的な攻撃をしないからであった。それが試合をよくする講道館においては「攻め手」を中心とするシステムへの変容して行ったのである。講道館の草創期には柔術との試合が行われ、柔道が優位を占めたことからその後の評価を高めることとなったのは周知のことであろう。こうした事実は小説『姿三四郎』で脚色を施され一般にも知られるようになった。加えて『姿三四郎』は映画、テレビなどにもされてさらに多くの人が柔道の優越性をイメージするようになった。そこでは柔道は新しい時代の開明的なスポーツとされ、柔術は旧弊を象徴するもののようにも扱われた。また既に述べたように「柔道」でも戦前は講道館の他に古武道の各派の集まる武徳会でも特色のある「柔道」が行われていたし、学生では寝技を深く研究した高専柔道もあった。しかし、戦後は講道館の柔道が「柔道」としての独占状態を作っている。こうしたことの原因を「守り手」から「攻め手」への技術的な変更によるものと考えるのが本稿である。


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