宋常星『太上道徳経講義』(41ー8)

 宋常星『太上道徳経講義』(41ー8)

「道」を進むは退くなり。

「道」を進むことは、有為なることではないし、実態を持つものでもない。意志を持って行ったり、身体を動かして為されるものではないのである。「道」を歩んでいる者は、それと分かることはない。「道」を養っている者は、それを養っていると知ることはない。あえて他人の上に立とうとすることもないが全く不満を抱くことはない。そうであるから「『道』を進むは退くなり」とあるのである。


〈奥義伝開〉ここでは「進」と「退」とが対比されている。言わんとすることは前と同じで「道」の本来には「進」も「退」もないわけである。宋常星はここでの説明を「道」を修することして解している。それは内的には心境が進んでいても、進歩している実感がないことを言っているとする。また外的には謙譲の態度をとっているように見えても、実際は「道」を実践しているだけであり、そこには全く自己を卑下しようとする意図は無いわけである。ただ要は「道」という無極・無限定の世界には「進」も「退」も究極的には存していないということである。


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