道徳武芸研究 植芝盛平の神秘体験(5)

 道徳武芸研究 植芝盛平の神秘体験(5)

そこで植芝盛平の神秘体験であるが、その時には「我即宇宙」と「万有愛護」が感得されたことは既に冒頭でも触れたが、より詳細に言えば黄金体となった時に「我即宇宙」を感得して、そして「万有愛護」のメッセージを得たとされている。「我即宇宙」といった体験は神秘的体験によく見られるもので、一般には「自我の肥大化」とされる。自分が最も貴い存在であるとする「自己の絶対的肯定感」が獲得されて、これまで抱えていた「矛盾」が一気に解決されるのである。それは後に盛平が合気道道「主」を名乗ることにおいても知ることができる。盛平は出口王仁三郎から守高の号を与えられて気に入って使っていたが、そうであるなら合気道道「守」とする謙虚さがあっても良かったと思われるが、そもそもが絶対的な自己肯定体験を出発点としていたので、盛平には道「主」以外の選択はなかったのかもしれない。また「万有愛護」においては武術の究極が「万有愛護」であると悟ったとされている。この「万有愛護」は大本教の「愛善」の考え方と同じものである。


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