宋常星『太上道徳経講義』(41ー5)

 宋常星『太上道徳経講義』(41ー5)

愚かな人が笑い飛ばさないようであれば、それを「道」と認めるべきではなかろう。

「道」とは至高、至貴なるものである。もとより愚かな人の理解できるものではない。もし、そうした人物が笑い飛ばさないようであれば、それは「道」とするに足りないものである。そうであるからここでは「愚かな人が笑い飛ばさないようであれば、それを『道』と認めるべきではなかろう」としている。


〈奥義伝開〉八卦拳で円周上を歩く、太極拳でゆっくりと動く、こうしたものを見て「これでは戦えない」と笑う人は多い。それはまさにここで老子の言っている通りの人である。それではどうして笑うのか。それは意味が理解できないからであり、自分が理解できていないことが分かっていないからである。また普通の人は「古くから伝えられていることであるから」と盲信して、ひたすら練習を繰り返す。この場合たまたまうまく練習ができていれば、正しい成果を得ることができるが、そうでなければ本当の八卦拳や太極拳の価値を得られない。


このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(3)

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(2)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)