道徳武芸研究 植芝盛平の神秘体験(2)
道徳武芸研究 植芝盛平の神秘体験(2)
およそ神秘体験をするのは、その人が解決できない矛盾を抱えている時である。理性をしては解決できない問題は、それを「解決不能」としてしまえば問題はないのであるが、それが出来ない場合には心身に大きなストレスを抱えてしまうことになり、はては体の不調や心の不調を招くことにもなる。こうしたことを回避する「人体の知恵」として神秘体験がある。神秘体験を経ることで論理・理性を超越して矛盾を肯定的に受け入れられるようになる。そうであるなら盛平の抱えていた「矛盾」とは何であったのか。それを解く鍵は勿論、盛平の感得した「我即宇宙」と「万有愛護」の中にある。およそ武術とは、相手を殺傷するための手段である。人として他人を殺傷する行為は、とても好ましいとは言えない。一方で儒教では「仁」が人として行うべき最も理想とする行為であるとするし、仏教では「慈悲」、墨子は「兼愛」を唱えている。ここに盛平は武術における大きな「矛盾」を感じたのであった。ただ、これが神秘体験を必要著する程の大きな矛盾とであったのは、ここに盛平の希求して止まない「霊的な能力」との関係があったからである。