宋常星『太上道徳経講義』(14ー3)
宋常星『太上道徳経講義』(14ー3)
これを聴いても聞こえざる。名を希(き)と曰う。
道には音がない。そうであるから道の音を聴こうとして、耳をそばだてても、何らの音も耳に入ることはない。そうであるから「希」といっている。「希」とは音が希(かすか)であるということで、寂として音がないということである。聞くことのできる音声のないのが道なのであって、もし聞くことのできる音声があったなら、そうしたところで、どうして天地を生育することができようか。万物の造化を行なうことができようか。そうであるので「聴こうとしても聞くことができない。その名を希という(これを聴いても聞こえざる。名を希と曰う)」としているのである。大道の妙は、聴こうとしても聞くことができないところにある。ただそうしたところに人は性命の真の音を聞くことができるのである。聞くことなくして聞く。三界(過去、現在、未来)に聞くべきは、聴くことなくして聴かれる「音」で、それによりあらゆるレベル(過去、現在、未来)での「音」を聴くことができるようになる。そうして大道の「希夷」の妙に深く入ることが可能となるのである。
〈奥義伝開〉宋常星は耳に聞くことのできる「音」は後天の音であり、内的に感じることができる「音」が大道、つまり先天の「音」であるとしているようであるが、よく読めば分かるように大道の「音」は聞こえないと明記している。先には、あらゆる物質の平等が解かれていたが、ここではあらゆる時間における平等が説かれる。過去、現在、未来にわたる「音」を聞くとは、それらが時を超えて同一線上にあることを悟ることである。あらゆる空間、あらゆる時間において、あらゆる存在は平等なのである。それにも関わらず多くの人は身分の上下を付けたがる。結果として矛盾が生まれることになる。