道徳武芸研究 知を開く秘儀としての「御信用之手」(7)
道徳武芸研究 知を開く秘儀としての「御信用之手」(7)
西郷四郎の山嵐は「御信用之手」と柔道とが出会って、ひとつの卓越した技を生んだ事例といえよう。また穴太衆は「御信用之手」と石積みが出会って高度な城の石垣へと結実した。あるいは三井寺では僧兵がそれを学んで中世の最強軍事集団ともいうべき僧兵が生まれた。このように「御信用之手」はそれが単独では特別な働きをすることはないが、一定の技術と出会うことでそれを大きく開花させることを可能とすることができるのである。先に太極拳も微細な感覚を開くことを目的としているシステムであることを紹介した。それに比べて方法としては御信用之手の方が数段優れているといえよう。太極拳において御信用之手の訓練に相当するのは推手である。推手の場合は触れている部分が手の一部に留まること、また相手を崩しても立っている状態であれば、相手の身体の状態が変化して崩れの度合いがうまく知覚できないことが多くあることなど、なかなか相手の内的な動きを把握でき難い部分がある。一方「御信用之手」ではしっかりと手を握っており、坐った状態であるので、身体を変化させることは難しい。そうであるから相手の力がどのように働いているのか、または自分の力がどのように作用しているのかを比較的容易に知ることが可能となる。このようにして微細な感覚を育てることで、あらゆる学問、技術の奥義を知ることが可能となる。改めて見直されるべき鍛錬法ではなかろうか。ちなみに鄭曼青が五絶老人として詩文、絵画、書法、医学、武術の五つの分野にわたって絶技を会得したいたとされるのも、太極拳に能力開発法としての側面のあるためである。