道徳武芸研究 知を開く秘儀としての「御信用之手」(5)

 道徳武芸研究 知を開く秘儀としての「御信用之手」(5)

太極拳では推手の段階を覚勁、トウ勁、神明としている。これは勿論、より微細な感覚が開かれるプロセスをいうものである。覚勁は相手の動きの中に含まれる内的な働きのあることが分かる段階であり、トウ勁はそれを意図してコントロールすることができるようになる段階、そして神明は意図することなく相手の勁の動きに反応することのできる境地である。御信用之手も勿論、同様なプロセスを経て相手の内面の動きを知って、そして自らの動きのそれをも分かるようになることで、自他の動きの勢いをコントロールできるようになる。また神明の境地に入れば身体の動きだけではなく、心の動きに対してのアプローチも可能となる。これを太極拳では凌空勁などということもある。凌空勁を触れないで倒すような「技」と誤解する向きもあるが、触れることなく相手を倒すことはできないのは当然のことである。これは相手と接触するより前にその動きを知ることができるという意味で、すべてはただ感覚が微細になることをいっているに他ならない。


このブログの人気の投稿

道徳武芸研究 「合気」の実戦的展開について〜その矛盾と止揚〜(3)

道徳武芸研究 両儀之術と八卦腿〜劉雲樵の「八卦拳」理解〜(2)

道徳武芸研究 八卦拳から合気道を考える〜単双換掌と表裏〜(4)