道徳武芸研究 知を開く秘儀としての「御信用之手」(4)

 道徳武芸研究 知を開く秘儀としての「御信用之手」(4)

新羅からの「合気」の伝承については『植芝盛平と中世神道』でも触れたが、古代には天の日槍(あめのひぼこ)によって伝えられた(新羅の王子とされる)。これと同じ技術が花郎などでも行われていたと推測されるが、それを伝えたのは「円珍」で三井寺にて伝承された。三井寺の「御信用之手」はひとつには僧兵により用いられ、抜群の武力を朝廷にも見せつけた。また一方で寺の石垣などを築いていた穴太衆へも伝えられて、近世城郭が築かれるようになると一気にその高度な能力が示されることとなる。それが近代になって現れるのが大東流であった。大東流を武田惣角に教えたとされる西郷頼母は多くの文献も残しているが、武術を熱心に練ったとするような記述は一切ない。大東流の佐川幸義も「頼母の体は武術鍛錬をしたようには見えない」と言っていた。また惣角と頼母とのエピソードでも、何時も汲んでいくるところの水と違うと、たちどころにそれを指摘したとするような武術の強さではなく、むしろ「感覚」的に卓越したことを証しするような話となっている。つまり頼母が惣角に伝えたのは感覚を開く鍛錬法としての「御信用之手」ではなかったかと思われるのであり、これはまた頼母の養子であった西郷四郎についてもいえることなのである。


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