道徳武芸研究 知を開く秘儀としての「御信用之手」(2)

 道徳武芸研究 知を開く秘儀としての「御信用之手」(2)

新羅明神は円珍が唐から帰国する時に感得したとする伝説がある。その頃の朝鮮半島、新羅の国には花郎(ファラン)なる集団があった。花郎は貴族の子弟が集団で心身の鍛錬をしていたもののようで、そこでは文学、武学、呪術(弥勒信仰)など多彩な修養が行われていたとされる。これが六世紀から十世紀あたりまで続いたと記録に残るが、円珍が唐から帰国するのは天安二(845)年であるから、まさに花郎の活躍していた時期にあたっている。おそらく「御信用之手」は花郎の間で行われていた能力開発法ではなかったかと思われる。こうした開発法が「呪術」とされるものではなかったろうか。花郎の時代には迷信めいたものもあるいは含まれていたかもしれないが、後には「御信用之手」として次第に洗練されたものになって行ったと考えられる。そしてそうした伝承を象徴するのが「新羅明神の感得」であった。円珍は唐に仏教を学びに行ったのであり、新羅とは何らの接点もない。そうであるのに帰国の船でいきなり新羅明神を感得したとするのは極めて不自然でもある。またこの神が本来、大津あたりの地主神であったとしても、こうした伝承が受け継がれている背景には「新羅」との特殊な関係があったことがうかがえる。また新羅明神が象徴する優れた「秘儀」は円珍のような偉い僧侶が伝えたと考えるにふさわしいものとして受け止められたこともあったのではなかろうか。


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