宋常星『太上道徳経講義』(13ー1)

 宋常星『太上道徳経講義』(13ー1)

聖人の進退は自然の理によるものとされ、その得失は当然の道から外れるものではない。その時になれば迷うことなく、その時が過ぎればまったく気に止めることもない。こうして道と大いなる一体を得て動いている。上下についても無私の徳をして接し、それは公私に及ぶものである。安危の状況に応じて判断の分かれることはなく、好悪によってその心が変わることもない。ただ道徳を天下に行なうに過ぎず、功名や富貴の得失、寵辱には関心がない。老子を読めば聖人の心を知ることができる。ここでは待遇の良し悪し(寵辱)に聖人がどのように対するかが記されている。


ここで老子は世の人々に警鐘を鳴らす。およそ得失、寵辱のどのような状況にあっても、泰然としており、心はそうした外的な状況に惑わされることはなく、身もそうしたものに煩わされてはならないとしている。


〈奥義伝開〉老子ではよくあることであるが、この章は始めに老子の時代に普通に知られていたであろう格言をあげて、それを老子なりに解釈する。要するに社会的な毀誉褒貶を受けると人はひじょうに気にするものであるが、それは物理的な次元で我が身に作用を及ぼすに過ぎない。またその範囲で気にすれば良いだけで、それ以上のことを思い病む必要はない、と教えるのである。この章は解釈や読み方に異同がある。他のテキストも参考にして頂きたい。


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