道徳武芸研究 新羅明神と御信用之手、合気上げ(2)

 道徳武芸研究 新羅明神と御信用之手、合気上げ(2)

大東流を広く世に知らしめたのは武田惣角であるが、惣角は本来は「武田」姓名ではなく「竹田」であったらしい。これをあえて武田としたのは、大東流を実質的に考案したとする源義光と何らかの接点を作るためであると思われる。義光は甲斐源氏の祖であり、後に甲斐源氏は武田信玄に代表されるように武田姓を名乗るようになる。つまりどうしても大東流と武田=源義光=新羅明神を結びつける必要がそこにはあったのである。源義光は三井寺の新羅明神の前で元服したことにより新羅三郎とも称している。つまり新羅明神との関係をいうためにあえて竹田を武田に改めさせたわけなのである。この三井寺の新羅明神は新羅善神堂というところに現在も祀られており、絶対に公開されることのない絶対秘仏とされている。新羅明神についてはいくつかの図像が残されているが、それはタレ目の老人で、神としてはなんとも威厳に欠けるような感じがある。ただこうした姿は朝鮮半島の民俗芸能タルチュムの仮面とひじょうによく似ている。こうしたところからも新羅明神が半島の神であることは明白であり、寺伝によれば円珍が唐から帰国する時に感得した神とされる。ただ寺からはやや離れたところにあることもあり、古くからの大津あたりの地主神ではなかったかとする説もある。現在大津に「渡来人歴史館」があるのも、この地が渡来人との深い関係にあったことを象徴しているということもできるであろう。


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