道徳武芸研究 新羅明神と御信用之手、合気上げ(1)

 道徳武芸研究 新羅明神と御信用之手、合気上げ(1)

大東流の原点となるのは「御信用之手」であることは先に論証した通りであるが、実はこの鍛錬法はひじょうに高度なもので武術を超えた可能性を有するものではないかと考えている。岡本正剛によれば毎週のように日曜には堀川幸道のところに赴いて、合気上げ(御信用之手)を試されたという。堀川が岡本の手を掴むと、合気を試みる。何度かやると堀川は「おーい!お茶をもってきてくれ」と家人に言って、これで終わりとなる。それは未だ合気が正しく用いる段階に達していない、ということであったという。大東流ではこれに柔術技法が付属して、ひとつの武術体系(大東流柔術)を構成しているのである。それを受け継ぐ合気道にも言えることであるが、「技」自体はどうも完成度の高いものとは思えない。入身投げでも、四方投げでも、逃げようと思えば逃げることは容易である。また一箇条にしても、座技であればスムーズに極めることができるが、立技でやろうとすると相手を床に抑えることはほぼ困難である。一方で精緻な御信用之手(合気上げ)があるのに、その展開としての柔術はあまりに不完全ではないかという疑問は当然の如く生まれることになる。ために植芝盛平は「当身」にその実戦性を求め、晩年は合気道の形は「気形」であり、攻防のためのものではないと考えるようになった。また大東流の中でも、技自体を考案したのは武田惣角であるとする見方もあるようなのである。


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