道徳武芸研究 合気道と物部神道〜秘儀の系譜「振魂」〜(4)
道徳武芸研究 合気道と物部神道〜秘儀の系譜「振魂」〜(4)
肩甲骨を緩める方法としての「振魂」は下丹田の位置だけでなく、中丹田、上丹田の位置においても行なうと良い。また日本刀の素振りも同時に行なう必要がある。日本刀がどうして現在のような形状になったのか。またどうして両手で使うようになったのか。それらの答えを明確に知ることはできない。しかし「振魂」を通して考えると、始めに「振魂」があって、柔らかな中心軸を養成しようとしていたが、なかなか軸を定めることができない。古代の日本にあった武器には剣や鉾があるが、中心軸の確立ということから考えれば鉾が用いられていたのではなかろうか。植芝盛平は「天の浮橋」を重視ていた。これはイザナギ、イザナミが天の浮橋の上に立って鉾を下ろして海をかき混ぜたとする神話に由来するのであるが、盛平の棒術の演武を見るとはじめに両手で持った棒を高く挙げかき回すような動作をしている。これは肩甲骨を開き緩めて、柔らかな中心軸を作ることに有効であると思われる。神話の通りであれば「棒」は下にしてかき回さなければならないが、それでは肩甲骨を開く効果が少なくなってしまう。こうした「論理」にとらわれないであくまで「感覚」で「天の浮橋」と言い切ってしまうところに盛平の発想にユニークさがある。さらに肩甲骨を開くのに有効であるのは日本刀を用いる方法なのであるが、振魂や鉾の鍛錬を修して行く中において次第に両手で日本刀を振るという鍛錬法が考案されて形状も今日のようなものになって行ったのではなかろうか。事実、太極拳や合気道では十分に中心軸を通すことができていない人が少なくない。合気道はその霊的背景として大本教や九鬼文書(盛平は合気道の守護神として「天の叢雲九鬼さむはら龍王」を出している)、川面凡児など、「裏」神道との関連を深く有している。こうした視点から合気道を見るとまた別な側面を知ることができる。