宋常星『太上道徳経講義』(10ー5)

 宋常星『太上道徳経講義』(10ー5)

民を愛し国を治めるは、よく為すこと無からんや。

ここでは無為の道が説かれている。民を愛し国を治めることの意味を明らかにするならば、それはまさに自然に順ずるということである。民を愛して国を治めるということは自然の状態のままである、ということであるから、必ずしもそれを意図して行ってはならないのである。もし意図的に民を愛しようとするならば、そうした愛はどこかに偏りが生まれてしまうものである。そうした状態で国を治めようとしても、その統治はあまねく万民に行き渡らない。ただ聖人は「民を愛する」などということを語ることはないが、それを身をもって天下に実行して教えている。無為の道をして、万民の心の変化を促すのである。これによって天下万民は、日々国を治める者の愛を受けてはいるがそれに気づくことはない。日々安穏な生活を送っているがそれが無為の統治によるものであることを知ることはない。人々に知られることも、気づかれることもない。これこそが聖人の道徳なのであるが、それを天下の人々は知ることがない。具体的な統治の方法として見ることができないが、無為にして人々の心は自然に変化をし、特別なことをしなくても民は自然に豊かになり、そう望まなくても民は自然に過度な欲望を持つことがなくなる。そうであるから「民を愛して国が治まるとは、特段に行うべきことをしないことなのである(民を愛し国を治めるは、よく為すこと無からんや)」としているのである。


〈奥義伝開〉本来、自然のままであれば「秩序」は完全に保たれている。これは天の星々の運行を見れば明らかである、とするのが老子などの「道」や「天」の働きが存するという考え方の基本である。民を愛するのは君主の基本であるが、それは「自然」のままであるべきで、特別なことをしないことが重要であるとする。つまり税金などと称する収奪などしなければそれはそのまま「愛」の実践となるわけである。そればかりではない「国を愛し、民を愛するが故にこの戦いに勝利して」などと言って「愛」を押し付けて命まで「収奪」しようとする権力者は実に多い。そうであるから「よく為すこと無からんや」と、余計なことはとにかくしないでくれ、と言っているのである。


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