道徳武芸研究 武術における「実戦」性(4)

 道徳武芸研究 武術における「実戦」性(4)

「前提」を設けることは武術の稽古における必然でもあるのであるが、あまりに「前提」にこだわり過ぎると「技」としての真実性が失われてしまうことになる。一定の「技」で相手を少し崩すことができたとして、それがややバランスを失う程度であるのか、投げられてしあう程度であるのかは、正しく範囲が限定されなければならない。そうでなければ練習している「技」そのものの価値が失われることになってしまう。そうなると自分の実力も分からなくなるし、相手の実力も見えなくなってしまう。それは相手の力を見抜く基準が自己にあるからに他ならない。自分の力がよく分かっていて、それより「強いか」「弱いか」が判断の基準となるからである。こうして正しく「技」が稽古されなければ、実戦において重要な「体力」を正しく得ることもできないし、「時術」を練ることもできないし、「運命」に関してもおかしな考え方を持って、迷信におちいるようにもなりかねない。孫子も自己を知ること、相手を知ることが実戦で失敗しない原点であると教えている。


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