道徳武芸研究 ○、△、□の力(1)

 道徳武芸研究 ○、△、□の力(1)

禅僧の掛軸などでは、よく墨で円だけを書く「一円相」が知られているが、他にも「○、△、□」を書くこともある。禅では最終的な境地を「○」で示すわけであるが、「△」は坐禅をしている姿、「□」は囲まれているとらわれの状態をいうとする解釈がある。また植芝盛平もこうした象徴を用いて合気道の理を説明していた。ここではこれらの記号を「力の象徴」と考えてみようとしている。中国では「天は円、地は方」とする宇宙観がある。また「天人地」という「三才」によって空間を認識しようとする考え方もあるので、そうしたことも含めるならば「△」は人と解することができる。つまり天は「○」で、人は「△」、そして地は「□」ということになる。こうした空間認識、宇宙観は密教の曼荼羅にも見られる。曼荼羅は基本的には「□」で区切られた中に神仏が展開している。それは大日如来の居る結界の中ということになる。金剛界曼荼羅は大きな「□」の中に九つの「□」が並んでいる。これであれば「□」しかないことになるが、横に三つと縦に三つの九つの「□」は右下から螺旋状に巡って中央へとその境地を高めるものとする。つまりここには螺旋である「○」の動きが生じているわけなのである。それでは「△」はどこにあるのか。金剛界の大日如来は智拳印を結んでおり、それは体の中心に上昇するエネルギー(クンダリーニ)が開かれることを象徴している。これが「△」である。このように金剛界曼荼羅では「□、○、△」のすべての力が示されていることが分かる。


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