宋常星『太上道徳経講義」(9ー6)
宋常星『太上道徳経講義」(9ー6)
功を成し、名を遂ぐれば、身を退くは、天の道たり。
最後の一文は、これまでを総括するものといえよう。それは朝が来て夕方になって一日が終わる時の流れ、日や月が登って沈むその運行といった天の道そのままであり、そこに何らの遅滞のあることもない。そうであるからそれは人においてもまったく正しいこととすることができる。もしよく世に功を成すことができたならば、それ以上を求めないことである。名をついに遂げたならば、それくらいで止めておくべきである。そうでなければならない。盈(みつ)ればそれが欠け始めることに注意をしなければならない。鋭すぎる(やりすぎる)と、それは折れ始めるのであるから、その鋭さを保つことなどできないのである。金や玉も貪りすぎてはならない。富貴もそれを驕ってはならない。天の道を見て、天の運行を知って天の道を行うのである。そうであるから「世の成功を収め、名声を得たならば、身を引く時で、それが天の道である(功を成し、名を遂ぐれば、身を退くは、天の道たり)」と述べられているのである。
〈奥義伝開〉満ちれば欠ける。その自然のままに生きれば災いにあうこともない。しかしあえて満ちたままの状態をなんとか保とうとするとそこに破綻が生じる。こうした自然のあたりまえの働きをよく知るべきと老子は教えている。あらゆるものには「終わり」があるのである。しかし人は往々にして「永遠不変の価値」を夢想する。そしてそうしたものが「ある」と言われれば、それに頼りたくなる。ここに誤りの第一歩が生まれる。