宋常星『太上道徳経講義」(9ー5)

 宋常星『太上道徳経講義」(9ー5)

富貴にして驕れば、自らその咎(とが)を遺(くわ)う。

富貴の栄を得ても、それで完全に満足が得られることはないのであるから、富貴を誇ることなく自分の身を保つことである。自分を牛飼いのように卑下して、金持ちであるからといって驕りの気持ちを持たないようにする。他人を見下すようなことをしなければ、相手も必ず謙譲の態度を示してくれよう。そうして自分も相手も争うことなく、あらゆるものが「和」すれば、どうしてそこに問題が生じようか。どうして処世の誤りが生じようか。そうであるから「金持ちを驕れば、人生の失敗を招く(富貴にして驕れば、自らその咎(とが)を遺(くわ)う)」とあるのである。ここで思うのは人の「性」の中には、金持ちになりたいと思う気持ちがあることである。精気神の三つの宝を人は有しているが、精気神は天地の「生成の気持ち(生意)」そのものである。それを我が身に帰すれば、天地の造化を得ることになろ。そしてそれは永遠の働きを得ることでもある。寿命は延び、生死の囚われからも脱する。それが本当の意味での「金持ち」となることであろう。もし貪りの心が深く偽りの「金持ち」となることに執着したならば、精は消耗し、神は定まるところを失う。そうしていろいろの病におかされるのが落ちである。億万の金をしても、不死を買うことなどできないのである。


〈奥義伝開〉宋常星はここで「性」には「金持ちになりたいと思う気持ちがある」としている。一見して性悪説をとっているようであるが、この「金持ち」というのが、天地の造化と一体となることであり、そうしたことが本来の「性」によって立つものであることが述べられる。中国では人の本質的な心の働きである「性」に欲望のあることを否定することはない。ただその欲望は天地と一体であり、自然と一体であるとするわけである。さらに正確にいうなら、それは欲望として持ったり、持たなかったりするようなものでなく、自ずから心の働きとして発してしまうものと考えられている。そうした「性」の働きである「造化」とは万物を生み育てる働きであるから、たとえば人を殺すようなことはどのような場合であっても、人の本来的な心の働きとして存することはない。軍隊で厳格な規律が重んじられるのはこうした「性」の働きを抑制するために他ならない。


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