第六章 正座と四股と馬歩(9)

  第六章 正座と四股と馬歩(9)

静坐は本来の人の「善」なる意識である「性」を開き養うもので儒家の修養法である。これと同じものが混元トウとして形意拳には存している。それによって形意拳では「性」を養うという考え方が強く存している。「性」のよって来るところは、宇宙は調和に満ちている、とする考え方にある。つまり「道=宇宙の法則」とは調和の働きで、「性」もそれに準ずるのであるから「性」の特徴も調和の働きを有するところにあるとするわけある。つまり調和を破るのが「武芸」であり、調和を守るのが「道芸」であるといえよう。また形意拳の跟歩(継足)では後ろ足を踏み込む時に音が出る。これは後ろ足に体重のほとんどが瞬時に乗るためであり、四股と同様である。尚雲樵は「鉄足仏」と称され、拳を打つと敷かれたレンガはことごとく砕かれたとされる。これをしても形意拳には四股と同じ沈身の功があることが分かる。


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