第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(16)
第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(16)
思うに合気道の体系は攻撃ではなく防御を主とするものであり、もっぱら「逃げる」ことを目的としたのではなかろうか。植芝盛平は大本事件の時は東京に逃げていたし、第二次大戦の時には岩間に逃げていた。西郷頼母も会津戦争を経て生き残っている。こうした「術=呼吸」を御信用の手は伝えていたのではなかろうか。そしてその技術は現在の呼吸法(座り技)とその応用としての入身、四方など大体、合気道の座り技として練習されているようなものがあったと考えられる。そして立ち技としては棒と剣で力のさばきと集中を習得する。棒の動きは多数取りに展開し、剣は当身へと展開される。盛平はこれらは松竹梅の剣、正勝棒術として体系化しようとしていた。