第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(15)
第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(15)
つまり合気道の「技」はすでに植芝盛平が「気形」と称していたように、これは鍛錬のための動きと捉えなければならないのであって、従来の「攻防の形」の技として捉えてはひじょうに不充分なものとなってしまうのである。つまり合気道の技は太極拳でいえば推手と同じく聴勁を磨くためのものということができるであろう(ただ現代の推手も多くはただ押し合うだけになっていて本来の目的を知らない人が多いようである)。思うに大東流は本来は「護身」のためのシステムであった。それが武田惣角により技が増やされる過程で「拿=逆手術」として攻撃的な展開をしたが、植芝盛平は逆手は実戦では使えないことを知り、当身に活路を求めることになる。盛平の甥で合気道をやっていた井上鑑昭は「自分は惣角の弟子ではない」として、惣角の相手をしてもその逆手をことごとく返したという。