第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(12)
第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(12)
西郷頼母の養子の姿三四郎のモデルとされる西郷四郎は孫文など東アジアの政治運動に関わるが、その素地が頼母にあったことは充分に考えられる。頼母自身も西南戦争や民権派の結集を目指した大同団結運動に関係したとされている。すでに触れたが大東流は本来は「御信用の手」であり、頼母によってこれが「大東流柔術」とされた。そして『合気之術』という本が話題になったことを受けてそれに「合気」が加えられ「大東流合気柔術」という名称になったのではないかと思われる。明らかに大東流の伝書は不自然に増やされている。大東流は初伝とされる「大東流柔術」の伝書で一応の完結をしている。そこに話題になった「合気之術」を加えたりして伝書を増やした人物が居たことがうかがえる。ただこの場合は時流に乗っただけのようなので、頼母のような高い教養を有する人物とはし難いようにも思われる。なにはともあれ伝書を作ったのは惣角ではないようなので、このあたりが明らかになれば大東流の歴史も明らかになるのではなかろうか。