第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(11)
第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(11)
大東流の武田惣角は植芝盛平に新陰流の伝書を与えている。また私見によれば大東流はもとは「御信用の手」と呼ばれていたのではないかと考えられる。これは大東流柔術の伝書を見れば最後に「右 御信用の手」云々とあることからも分かる。大東流の伝書ははじめに清和天皇を置くもののそれから惣角までの伝承は明らかではない。こうした伝書が見られるのはサンカや木地師といった山の民においてである。そうしてみると大東流は山伏など山の民の間で伝承されて来たものではないかと思われる。一方「大東」はかつてはこれを「やまと」と読ませており、「やまと(大東)流柔術」であったと思われるが、「大東」に「やまと」の意味のあることは確かで、こうした名称をつけるその背景にはかなりの教養人の存在がうかがえる。そうしたところからすれば、あるいはこれは西郷頼母によるものなのかもしれない。