第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(10)

 第四章 合気道技法の「実戦性」とは何か(10)

日本の武術の伝統をひとことで言うなら「やわら」に尽きよう。「やわら」が特に意識され出すのは近世の「柔術」からであるが、その技術的な伝統は中世末期の陰流によって開かれていた。陰流は「影流」でもあり、それが後に新陰流となる。「影」とは相手に気づかれないということで、そこからは知らぬ間に相手を倒しているというイメージを認めることができるであろう。影流が出現したころには摩利支天の信仰が盛んであった。摩利支天は陽炎を神格化したもので、それに祈ることで相手に気づかれないと考えられたのであった。「影」流はそうした信仰とも無縁ではあるまい。それはともかく影(陰)流のベースにあるのは「殺人剣」から「活人剣」への展開であり、新陰流ではさらに「無刀」の境地をも模索されていた。「殺人剣」は攻撃してくる相手を殺傷して争いを治める術で、「活人剣」は相手を活かして制する術、「無刀」は争いそのものが生じないようにする術である。最後の「無刀」のレベルは心の法ということになるであろう。


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