宋常星『太上道徳経講義』第六十六章
宋常星『太上道徳経講義』第六十六章
(1)自分を高い地位に置いて人の上に立とうとする者は、長く統治をすることはできないとされる。そうして人を退けるようでは天下を保つことはできないのである。
(2)自分の知る範囲での「大」なるものに執着してしまえば、天下にある更に「大」きなものを知ることはできないであろう。自分が思う「善」なることに執着してしまうと、天下にあるいろいろな「善」なるものを認識できなくなる。
(3)このように自分の知見に執着することがなければ、天下に争いの起こることはなくなる。自分が何でも分かっていると思い込まなければ、天下にあって他人の知見と争うことはなくなる。
(4)そうであるから自分を他人の上にあるとはしない。そうしていれば、他人に比べて優位に立つこともないので、他人と優位を争うこともない。
(5)自分を下にすれば、天下のあらゆる楽しみは自分へと帰する。
(6)自分を他人の後ろに置いて相手と先を争うことはない。それは無為であり、争いを起こさない行動である。
(7)謙虚であるのは天下の広大であることを知っているからであり、自然のままを尊重するからでもある。
(8)ここで述べられているのはこうしたことである。
1、川や海がよく「百谷の王」であるのは、よく自分を「下」に置いているからである。そうであるから「百谷の王」となり得ているのである。
(1−1)天下に存在している物事にあっては「不正なものは正しくない」のであり「曲がっているものは真っ直ぐではない」「窪んでいるものは盛り上がってはいない」「ぼろぼろであれば新しくはない」のである。
(1−2)聖人はこうした当然の道理を「聖」なるものとしている。それが即ち「善」なるものなのであり、そうしていれば過度に「労(つかれ)」ることはないし、自らを「尊」いとすることもなく、自らを「大」きく見せることもしない。
(1−3)「私」をして行動することもなく、他人に「勝」とうともしない。そうして自分を卑下して他人の「下」に置くので自分が偉いと思って慢心することはない。こうしたことを「川や海がよく『百谷の王』となることができる」としている。
(1−4)川や海は地形に高低があることで、何の滞りもなく「下」に流れている。どんな流れの谷の水でも川から海へと帰している。どのように流れていても川や海はそれを受け入れている。そうであるから谷川にいろいろな流れがあっても、それは一様に大きな川となり海となる。そうしたことを「百谷の王」といっている。
(1−5)たとえ谷川が激しく流れていても大きな川や海に入れば関係がなく一様な流れになる。どのような流れでも、高いところから流れて来ても、やや低いところからでも、集まれば自然にひとつの流れになる。そうしたことを「川や海がよく『百谷の王』であるのは、よく自分を『下』に置いているからである。そうであるから『百谷の王』となり得ているのである」としている。
【補註】ここにあるように「以其善、下之」の「善」は「よく」という意味に解するのが一般的であるが、「その善なるを以て、下に之(ゆ)く」と読むことが宜しかろう。そうなると「水は善なるものであるから下へと流れる」ということになる。こう読めば第八章には「上善は水のごとし。水は善く万物を利して争わず、衆人の悪(にく)む所に処(お)る」とある教えと一致する。
2、以上のことから聖人は自らが「上民」たらんと思ったならば自分を「下」であると宣言する。「先民(リーダー)」たろうとするのであれば「後」にその身を置く。
(2−1)ここで述べられているのは、まさに「聖人」とは何者かということである。聖人は「虚心」「忘己」であって、それはよく川や海が「下」であるのに等しい。
(2−2)聖人において「道」は行われており「徳」も欠けているところはない。そうなれば当然に「上民」となってしまう。聖人は「道」と一体となることを欲しているわけであるから結果的に聖人は「上民」となることを欲していることになる。ただ、こうした場合には必ず自分を「下」に置くものである。
(2−3)聖人は人の知らないことをあえて知ろうとすることはないし、自分の知っていることと人々が知っていることをあえて比べることもない。聖人の言うことはすべからく謙(へりくだ)ったものであり、心は全く虚である。心が虚であればあるほどその言うところはますます謙虚なものとなる。
(2−4)もし聖人が「下」にあってものを言うのでなければ、その発言は、どうして民に「上」と認められるであろうか。どうして人々がそれを是認するであろうか。それは川や海のように聖人があらゆるものを受け入れていればの発言といえるであろう。
(2−5)聖人は天に従い地に習っている。そうであるから自然に「先民(リーダー)」となるのである。自然のままであることを聖人は欲する。そうした中で「先民」とならんとするわけであり、その身は必ず「後」に置いている。
(2−6)自分がどれだけのことを行い得るかなどをあえて知ろうとすることはない。民のでき得ないことを自分ができるからといってそれを誇ることもない。そう努めることで自己をますます民の「後」に置くのであり、すべての人を己の師と認める。そうなれば心はますます謙虚となり、あらゆる人が自分より勝っていると考えるようになる。
(2−7)かりに聖人が自分を他人より「高」く優れた者であると考えて自己を「先民」としたなら、その行うことを他人がよく肯んずることはない。そうした者の決めたことに従うことはない。
(2−8)それは大きな川や海のようにあらゆるものを受け入れる「百谷の王」たり得ては居ない。自然のままであることをして聖人は「上民」たらんと欲している。そうであるから、その言は自ずから「下」から発せられるのであり、その身は「後」に置かれることになる。ここではこうしたことが述べられている。
【補註】一般的には「上民」や「先民」となるのは聖人と解して、そうであってもあえて「下」や「後」に自分を置くことで、かえって「上民」「先民」となり得るとする。しかし、よく文を見ると「上民」「先民」には「民」があるが「下」や「後」には「民」が付されていない。これは「上民」「先民」は「民」のことであり、「下」「後」は聖人のことであることを示しているのである。つまりこれは「民」と聖人との相対関係をいうもので「民」を「上」にすると聖人は「下」となる。「民」を「先」とすれば聖人は「後」となるという単純な論理である。
3、そのため聖人が「上」に居ても民はそれを重んじることはない。「前」にあっても聖人はあえて民に不利益を与えることはない。
(3−1)ここで述べられているのは、「上」も「下」もなく、「貴」も「賤」もないということである。
(3−2)聖人はあらゆる存在の首ひとつ「上」にある。その「徳」は群を抜いている。これを「上」に居るという。
(3−3)このように聖人は「上」にあるのであるが、それを民が重視することはない。しかし、その威を恐れて侮ることはなく、その命ずるところに従わないことはない。
(3−4)結果的には民が聖人を重視することになる。聖人は「上」と評されるが自分を「下」に置くことで、民は安らかで居ることができる。
(3−5)あえて民は聖人を親しむことはない。聖人の存在そのものも気にすることがない。
(3−6)聖人の心がゆったりとしていることは家族や親子の間のようである。そうであるからその楽しさは父母について歌っている時のようである。しかし民は聖人をあえて軽んずることはない。
(3−7)聖人は制度を定め、どのように人を用いるかを明らかにする。そうして民をリードする。こうしたことを「前」に居るという。しかも聖人が「前」に居ることで民が良くない影響を受けることはない。
(3−8)何か政策を行おうとすれば、民の中には何らかの不都合を受ける人もあろう。そうしたことはすべからく民に不利益となる、といえる。
(3−9)聖人が「前」にあり、民が「下」にあっても、聖人は無為である。そうであるから聖人は自分の「利」を考えることはないし、そこに「苦」を見ることもない。それはまるで家族や自分自身に対するのと同じで、聖人も民も一体であり互いに楽しみを共有しようとしている。
(3−10)憂いも共有していて、全くもって民だけに不利益を与えるようことはしない。そうなれば聖人は民の「上」にあるとしても、そうしたことににこだわる民は居ない。民の「前」にあるとか「後」にあるとかを気にする民もない。民はそうしたことに執着することはなく、不利益を感じることもない。
(3−11)貴賤にもとらわれず、前後があることも忘れている。老子が述べているのは聖人は「上」にあっても民はそれを気にすることはなく、「前」にあっても何らの不利益にもならないということである。ここではそうしたことを述べている。
【補註】前は「民」が「上民」であれば聖人は「後」にあることになり、「民」が「先民」となれば聖人は「後」となることが述べられていたのであるが、ここでは反対に聖人が「上」であれば「民」は「下」となり、聖人が「先」であれば「民」は「後」となる、ことが言われている。例えそうなっても、それは相対的な位置の変化に過ぎないので、これをあえて重視することも、あえて拒否しようとすることもないわけである。「聖人」は無為自然であるから「民」からすれば聖人とどのような位置関係にあっても何ら気にすることもないわけである。
4、こうしていれば天下にいろいろなことを好んで推し進めて厭うことがないとしても、そこに争いが生ずることはない。つまりは天下に争いは無くなってしまうわけである。
(4−1)ここで述べられているのは「争わない」ということである。言わんとしていることは明らかであろう。
(4−2)天下の人々がどれくらい居るかは分からないが、それは個々人の集団である。
(4−3)そうした中にあって卑下して自分を「下」に置いて、「後」に居たならば、修行をしてもその「徳」を「大」と人々に認められるようになる。
(4−4)無為自然である聖人の語ることは「天」に代わって述べられている言葉であり、身は天に代わってその行為を実践している。そうであるから「上」は天の意に応じて、「下」は民の情と一致している。
(4−4)つまり天の意とひとつになっているのであり、民の情にも沿っている。「天下人々の心」は「聖人の心」とひとつになっているばかりか、あらゆるものの心とも「一」つになっている。
(4−5)「天下人々の身」は「聖人の身」とひとつになっている。その恩のあらゆるところに及ぶのは天の如くであり、徳の厚いのは地に等しい。天下の民は、これを仰ぐこと穏やかな風や雨のようであり、それを慕うことは吉祥としての日や雲の出現を願うが如くである。また、それは草原を潤す慈雨のようでもある。
(4−6)聖人の発する声は内外に轟いている。そうしていろいろなことを好んで推し進めて止むことがない。ここで述べられている「天下にいろいろなことを好んで推し進めて厭うことがない」とはこのようなことを言っている。
(4−7)聖人の徳化は、いろいろなことを推し進める中に実践されるのであり、それは湯武の革命と等しい。舜堯と「徳」を同じくしている。「虚心」「忘己」でなければ、こうしたことが分かることはあるまい。
(4−8)こうしたことからすれば「いろいろなことを好んで推し進めて厭うことがない」ことにおいて聖人は意図してそれを行っているのではないことが分かろう。聖人は意図的に民に何かを押し付けるようなことはないのである。
(4−9)聖人がよく天下に「大」をなすのは、それが自然に「大」となるべき時においてである。よく多くの人が意図をして行うことは自然ではない。人は意図をして好ましいと考えたり、意図をして知ろうとしたりする。
(4−10)しかし聖人は必ず「下」に居て、身を「後」にしている。これは大きな川や海がよく「下」にあるのと同じである。これらには全て民と争わないことへの奥深い意味がある。
(4−11)争わざるの道は、無為をして為されるのであり、争わざるの道は、無為をして行われるのである。
(4−12)天下の民は、聖人の無為を為すのを感じている。それにおいて有為の私心は、日に当たった氷のようで、必ず融けてしまう。政治において、無為をして事を為せば有為をしてなす時のように争うことはない。それは火に当たった金属のように、溶けてしまうからである。
(4−13)家、国家、天下において、互いの心を認め合うのは、個々の考え方を等しく認めるからであり、それにはそれぞれが謙譲であらなければならない。そうなれば争いは自ずから行われなくなる。
(4−14)それは争う気持ちが完全に無くなるのではないかもしれないが、争いが起こることはない。ここではそれを「こうしていれば天下にいろいろなことを好んで推し進めて厭うことがないとしても、そこに争いが生ずることはない。つまりは天下に争いは無くなってしまうわけである」としている。
(4−15)世間の人が争うのは、全て有為によるからである。「利」や「名」、あるいは「栄」や「辱」、「先」や「後」、「有」や「無」に執着して、ついには私利をして他人を害するのである。そうなれば日々、道理を知らないで害を為すことになる。
(4−16)無為の実践を重ねて行けば常に自分を「下」に置くようになる。もしこうした聖人の「無為の造化」によることがなければまず第一に有為の心を正すことはできない。そして人の本来の心のあり方である「性」に復することもできなくなってしまう。
〈奥義伝開〉
この章は「百谷の王」「聖人」「争わない」の三つのパートに分かれている。老子の考えが特に展開されるのは「聖人」の部分でそれが「百谷の王」と「争わない」とを説明する形になっている。「百谷の王」や「争わない」は当時の格言のような教えであったとも考えられる。ここでの要諦は「無為自然」であれば「争い」は生まれない、ということである。
本来の諺では、大河や海は「下流」つまり「民」と等しい位置にあるのであるが、そここそが真の「王」であるとしていた。つまり「下流」である「民」こそが真の「王」なのである、ということである。一般的な社会においては「上流」に富や権力が集中している。しかし自然界にあっては「下流」にこそあらゆるものが集まっている。ここに社会の矛盾が生まれる原因があると考えるのである。
老子は何もしないで自然に流れが集まって来る大河や海を無為自然の働きにあるとして、それを「王」と認めている。上流、下流などといったことは相対関係であるに過ぎず、より重要なのは自然な水の流れのあり方にあるとする。無為自然であれば聖人が「民」の「上」にあっても「下」でも、「先」でも「後」でも何ら「民」が気にすることもない。無為自然であれば、どのようなことをしても、自然のままであるから、そこに何らのストレスたる争いが起こることもないわけである。